パレット  世界の国々・出逢の風景   〜アジア編〜
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村の礼拝所
水彩 (25×31)
チベット・パヤン村
1994年・夏
この絵も、チベットを横断したときに出会った景観です。広場の一画に、沢山のタルチョに飾られた礼拝所がありました。そこにはヤクの角やマニ石も沢山積み上げられており、左回りにマニ車を回しながらお祈りを繰り返している老婆の姿がありました。これは、祈りに明け暮れる日常の姿。チベットならではの風景だと思いました。
村一番の色男
水彩 (25×31)
チベット・タルチェン
1994年・夏
チベットを4輪駆動で横断したとき、途中の小さな村に1泊しました。珍しい遠来の客に若者が集まって来ました。その中におしゃれな青年がいたのでモデルにして描き始めると、たちまち沢山の見物人に囲まれました。彼は、自他共に認める村一番の色男らしい。誇り高く不動の姿勢でポーズをとり続けてくれました。
ティリチミール遠望
油彩・6F
パキスタン
1997年夏
パキスタン北西辺境州の山間にある小さな街チトラールからの眺めです。シャヒー・モスクの塔の向こうに、ヒンドゥークシュの盟主ティリチミール(7706m)の白い姿を望むことが出来ました。この秘境に聳える山が、パキスタンでは一番高い山です。この山に向って、明日から旅を始めます。モスクの塔から、祈りの声が谷間に流れて行きました。一緒に,旅の安全を祈りました。
コンコルディア
油彩
パキスタン
2001年夏
パキスタン北部のカラコルム山塊には、世界第二位の高さを誇る「K2」をはじめ8000メートル峰が4座も連なっています。世界のクライマーたちが集まる登山基地として有名なのが此処コンコルディア(4600m)です。残念乍ら「K2」は姿を見せてくれなかったので、近くに聳える無名峰を描かせてもらいました。
星の家
水彩画 36×26cm
インドネシア・バリ島
2006年3月
はじめてバリ島を訪ねました。芸術家の村として名高いウブドのコテージに1週間滞在。森と川に囲まれた家の周囲にはヤシの葉が茂り、庭の一隅に高床式の 倉庫が建つこの家を、管理人は「星の家」と紹介してくれました。夜になると美しく星が煌めき、南十字星の姿もありました。年間を通して30度前後と言う島の気候は、思いのほか快適であり、この「星の家」は、いかにもバリ島らしい雰囲気があって、ゆっくり寛ぐことが出来ました。
アンナプルナ
油彩画・P40
ネパール
1999年12月
ポカラ空港の空港ターミナルの屋上に上がると、ダウラギリ、アンナプルナ、マナスルという8000メートル級のヒマラヤの山々が並んでいるのを間近に眺めることが出来ます。絶好の展望台なのですが、観光目的の開発は行われていないのでお客の姿は少なく、集中して描く事が出来ました。現場では水彩で取材。帰国後油彩で仕上げたものです、翌年、日本山岳画協会展に出品しました。
シャングリラ
(油彩 30P)
パキスタン/スカルドウ
2001年9月
 スカルドウから車でおよそ40分。其処は、四方を高い山に囲まれた美しい別天地でした。中央に大きな湖があり、その周りには赤い屋根のコテージが並んでいました。何故かビルマ風に反り返った屋根の建物がレストランであり、それら赤い建物が水面に投影されていて夢のように美しい。湖には白鳥が優雅に泳ぎ、湖畔に敷きつめられた芝生のみどりが気持を和ませてくれました。湖畔に茂る柳の枝が、風を受けて緩やかに揺れ、その下を縫うようにして白い散歩道が続き、道に沿った花壇にはバラの花が咲いていました。手入れの行き届いた正に素敵なシャングリラ、ホッと休息出来る別天地でした。
ラカポシ
(油彩画:45×33)
パキスタン/フンザ
2001年9月
 パキスタン最北の地点に、長寿の里として知られるフンザ(FUNZA)村が在ります。この北方地域には、K2(8611m)をはじめとする8000m級のカラコルム山脈が迫っており、世界のクライマーたちの憧れの地としても有名です。 1974年まではフンザ王国として独立していたこの地から、残念ながらK2を望むことは出来ませんが、フンザ川をはさんでウルタル(7329m)とディラン(7257m)がそびえたち、中でもラカポシの川床(2100m)から一気に5700mの高度を直立する壮大さには圧倒される迫力があります。夜明けを告げる白い氷峰の輝きは、気品に満ちた美しさに輝いていました。
雲上のアンナプルナ
水彩画 (415×310)
ネパール/ポタナ
2001年・1月
 ネパールの北部にポカラという町があります。ヒマラヤ連峰の山麓にあり、避暑地として拓かれた歴史を持っていますが、ヒマラヤ登山の基地としても有名です。此所から車でルムレ(Lumle)村まで行き、およそ5時間位歩いた地点にポタナ(Pothana)村があります。此所は標高2200m位で、間近にアンナプルナを展望することが出来ます。キャンプ地にテントを張り、朝焼けのヒマラヤを眺めました。中央に聳えるのがAnnapurna-2 峰(7937m)、左の肩に見えるのが Annapurna-4 峰(7525m)です。
ダルコット峠
油彩・F30号
パキスタン/北西辺境州
1997年・夏
 この峠を越える人は、今は1年に1度あるかないか位だそうですが、今でも重要な交通路であることには変わりありません。しかし、それは想像を超える厳しい道でした。その日の日記から抜粋します。
 「峠越えを目指して登り始め、3日目の朝を迎えた。(略)朝早い氷河はしっかり引き締まっており、踏み出す足元に確かな手ごたえを感じた。(略)峠は見えていても、なだらかな雪面は登れども登れども、その距離は縮まらない。(略)登ってきた遥かなるズインデハラム氷河と、反対側には下り行くガクシュの深い谷を、そして遠く迄伸びる純白の稜線が見渡たせた。見上げれば吸い込まれそうな深い青。全ての音は、青と白に吸収されて限り無く静かな世界である。遂に峠に立つことが出来た。4575m。込み上げてくる喜びと感動をいつまでも味わっていたいと思った。(略)」
チトラール風景
水彩・25.0cm×35.0cm
パキスタン/チトラール
1997年・夏
 パキスタンの北西辺境州の最西端にある小さな町で、アフガニスタンとは目と鼻の先。険しい山々に囲まれているので、現代の秘境とも言われています。
 昔は、独立した王国でした。その、王族であるブルハーン殿下は大の日本びいきで、チトラールを訪ねる度に良くして頂きました。プラタナスの木陰で、共に食事をしたのも今は懐かしい思い出です。95年夏、不慮の事故で急逝されたのです。97年夏、仲間と共にご冥福をお祈りし墓前に花を供えてきました。墓は、この白いモスク:マスジット大寺院を見下ろす画面右後方の丘陵にあります。
 此所は乾燥地帯です。今日も快晴。午後からのサッカー試合に備えて、寺院の前のグランドには水が張られました。即席の水鏡は、見事に美しい景観を見せてくれました。
花咲くウルタル山麓
油彩・P100号
パキスタン/フンザ
1998年・春
 『不老長生の秘境』:シャングリラとして名高いカリマバードの村落フンザは、中国との国境近くにあります。この村の顔であるウルタル2峰(7388m)は、村に向かってV字形に広がる巨大な岩稜の隙間から間近に眺める事が出来ます。人を寄せつけない厳しい山で、まだ登頂に成功した者はいないと聞いています。
 この山との最初の出会いは、1987年でした。2度目は、天才登山家・長谷川恒夫氏がこの山で遭難死した91年です。そして98年春は、3度目の訪問でした。
 その日の朝、夜明け前には写生地でスタンバイしていました。黎明の空にその秀麗な姿が頬染め始め、岩棚に建つ宮殿が朝日を受けて白く輝きはじめると、杏や桃の花でうめ尽くされた深いフンザの谷も次第に眠りから覚めていきました。それは、正にシャングリアの眺めであると思いました。
チベットの山
油彩・P8号
西チベット
1995年
 世界の屋根と言われるチベット高原(標高5000m前後)を縦断してみるという機会があり、西のカシュガルから上がって、東の首都ラサまで2000km余りの道程を、四輪駆動車を連ね、悪戦苦闘し乍ら走破しました。空気の薄い苛酷な環境の中にも、要所要所には中国人民解放軍が駐屯しており、何度かその兵舎に泊めてもらいました。
 突然、大地からせり上がってきたようなこんな巨大な岩山が沢山在りました。その岩肌には厳しい自然の苛酷さが刻み込まれており、毅然とした山容には圧倒的な力強さと風格がありました。山麓に赤い旗が何本か翻っている所が、宿泊した『紅柳灘兵舎』の玄関です。強い紫外線を気にしながら、生き物の匂いが何もしない、荒涼たる砂漠に座り込んでの写生でした。
夜明けのダウラギリ
油彩・P50号
ネパール/ゴラパニ
1995年・冬
 夜明けを1時間あとに控える頃が一番寒さの厳しい時です。防寒服の下にカイロを貼付け、ヘッドランプを点灯して、ゴラパニのテントを出ました。微かに星が光っており、今日は快晴です。凍れる坂道をブーンヒル目指して急いだのですが、思い掛けない深雪に行く手を阻まれ、途中で断念。しかし、見晴しの良い斜面で素晴らしい夜明けを迎えることがで出来ました。
 中央に在るのがダウラギリ1峰(標高8167m)。その右側に鋭いピークを見せているのがトウクチェ・ピーク(6920m)。純白にドレスアップしたその胸元には、朝日を受けて七色の宝石に見紛う輝きもあり、荘厳なヒマラヤの夜明けに見とれてしまいました。
ニルギリ北峰
油彩・P30号
ネパール/ジョムソム
1998年・冬
 此所は、ネパ−ル中部の北、幻の王国と言われたムスタンにつながる谷筋で、風の谷としても有名な所です。標高は約3000メートル。以前は外国人入域禁止地域でした。チベットに近いので建物も石作り。生活様式や服装もチベット的です。この谷に小さな小さな飛行場があるのですが(見えませんが画面の左下)、飛び立つ目安は、ニルギリ(7061m)にかかる雲の様子で決まります。今朝も相当な風。フライトは中止です。
城塞遺跡の在る風景
油彩・F12号
パキスタン/コイコルド
1997年・夏
 記録が無いので分かりませんが、土地の老人の話によると、其の昔中国の武人が築いた城塞であると言う。今は風化されてしまい、かろうじて当時の面影を残しているのみです。パキスタンの北西辺境地区、アフガニスタン、中国との国境近くです。標高約3800mのこの場所から、仲間たちは更なる高所や無名峰の登攀、氷河探検に出かけて行きました。僕は一人でベースキャンプの留守番。写生をしたりマーモットと遊び乍らの毎日。1週間、のんびり過ごしました。
胡弓を弾く人
油彩・F30号
ネパール/バクタブル
1995年・冬
 背景の街は、ネパールではカトマンズに次ぐ第二の古都、バクタプル(別称:バドガオン)です。
 ヒマラヤ連峰に見守られながら静かに佇ずむ街の路上に、孫と一緒に伝統楽器の胡弓を弾く老人がいました。貧しくとも、子供たちの瞳は美しく澄み切って見えました。
アヤソフィア
油彩・F4号
トルコ/イスタンブール
1996年・冬
 東西文明が交わる妖しく不思議な街イスタンプール。
 3日滞在しましたが、毎日雨に降られてしまいました。ビザンテイン建築の最高傑作と言われているこの大聖堂は、連日の雨に赤い壁がしっとりと美しさを増しているように思われました。
グゲ王国夕映え
油彩・P30号
チベット
1994年・夏
 今は廃虚となっていますが、山一つが大きな城塞であり、中には礼拝堂や住居など一応の設備が整っていました。鎧の破片などが散乱している部屋もあり、戦の名残りを留めていました。頂上には絨毯もそのままの王の館がありましたが、そこからの眺めは草木のない乾いた山々の重なりだけ。王国の人たちの運命が偲ばれました。
北京大学構内
油彩・F8号
中国/北京
1991年・夏
 中国の秀才たちが集まるこの大学には、静かな落ち着きがありました。学生たちは広い構内を自転車で移動し、木陰には読書に耽る学生たちの姿が見られました。 炎天下の運動場では、軍事教練が行われており、驚きました。学生たちは、大食堂で食券を購入しての食事、お風呂も共同の銭湯。僕ら2人は、招待所に宿泊させてもらいましたので、シャワー付きの特別待遇でしたが、食事は彼等と共に大食堂でいただきました。御飯一杯が10円程度だったと思います。
 日本からの留学生もいたのですが、『彼等は街で食事し、勉強しないでよく遊ぶ』と、美術科教授に批判され、情けない思いをしました




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