★ 2002 アンコールの旅
カンボジア国旗  ◆ 3日目(1月15日) 後半 目次へ
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【本日の旅程】=アンコール周辺の遺跡見学(トマノン、タ・ブローム等)

◆ ホテルで休憩後、午後の観光
 昨日と同じように、途中のレストランで昼食を済ませ、一度ホテルへ帰って昼寝タイムを取った。1時間足らずの昼寝であるが、クーラーの効いた部屋での睡眠は疲労回復には効果的である。2時半、再び午後の観光に出発した。

 以下の順番で3つの遺跡を訪ねたが、簡単なメモ程度の記録に留めておく。

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◆ プレ・ループ
 ピラミッド式寺院で、規模壮大。最上階の中央祠堂から眺める平原の遥か遠くにアンコールワットを望むことが出来た。此所では火葬の儀式が行われていたらしく、中央伽藍の前には、死者を荼毘に付したという石槽が置かれていた【写真】。火葬場もあり、火葬された遺体の骨を洗浄する場所も残されていた。
◆ ニヤック・ポアン
 現在は水が涸れてしまっているが、池の中央に浮かんでいるのがそれである【写真】。ニヤック・ポアンとは、「絡み合う蛇」を意味するそうだが、この祠堂の基壇は、2匹の大蛇によって取り巻かれていた(基壇の左右に立ち上がって見えるのが大蛇の頭)。この池の四方には小さな池が配されており、中央の池の樋口を通して流れ出す水が、それぞれ信仰上の目的に沿った働きをしたそうである。伝説に基づく馬も1頭池に佇んでおり(画面の左端)、物語性の強いロマン溢れる遺跡であった。


◆ プレア・カン
 時間に追われるようにして、急ぎの見学であった。石碑文によると、10万人が寺院の運営にあたっていたそうで、話半分に聞いても当時の繁栄ぶりが偲ばれる遺跡であった。しかし、人為的に破壊されたらしい現在の姿はあまりにも痛々しいものであった。


◆ サンセット
 日没の時間に間にあうよう、ブノン・バケン丘へと急いだ。人気ナンバー1と言うだけあって、丘への登り口には、たくさんの象タクシーがスタンバイしていた。「結構きつい登りですよ」と聞かされて、家内は友人と一緒に象の背に乗りこみ楽しそうに揺られて行った【写真下】。事前に支払った料金は、片道20ドル。しかし、象使いの少年の背中にはチップを入れる袋が縫い付けてあったそうだ。
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 ←象タクシー     サンセット↑
 僕は、最短距離の急な斜面を登った。息を整える為に何度か立ち止まったほどの登りであった。丘の上には寺院遺跡が在り、そこには、すでに大勢の人がサンセットの瞬間を見ようと陣取っていた。360度の展望を楽しんだ後、僕らもクメールの大地の地平線が見える展望のよい場所に座り込んでその時を待った。太古の人々が眺めたのと同じ太陽は、西の空を赤く染めながら、瞬く間に沈んでいった【写真上】


◆ 復活したアプサラダンス(天女の舞い)
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カンボジアの民族舞踊
 
 夕食は、好みの料理を適当に頂き、その後、アンコール王朝時代から伝わる古典的なカンボジア伝統舞踊を鑑賞した【写真】。そのアプサラダンスは、昔から神への祈りとして捧げられたものだという。気品に溢れた「天女の舞い」を見せてくれた踊り子たちの美しい手は、遺跡の中で沢山出会ったデバターたちの手と同じようなしなやかさであった。
 ちなみに、この伝統舞踊を継承していた人たちは、ポル・ポト政権時代に殆どの人が処刑されてしまったそうだ。しかも、伝統舞踊に必要な衣裳その他も同時に始末されてしまったと言うから、徹底した破壊行為であった訳である。しかし、幸運にも生き残ることが出来た何人かの先生たちによって、辛うじて伝統舞踊を復活させる事が出来たという。共に喜びたいと思う。伝統文化は、その民族の掛替えのない誇りであり財産である。だから、特に大事にされなくてはならないものだと思う。

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