★ 2002 アンコールの旅
カンボジア国旗  ◆ 3日目(1月15日) 前半 目次へ
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【本日の旅程】=アンコール周辺の遺跡見学(トマノン、タ・ブローム等)

◆ サンライズ
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アンコール・ワットの夜明け
   
 アンコール・ワットでの御来迎を体験するため、5時起床でバスに乗り込み未明の国道を走った。壕を渡り、懐中電灯で足元を照らしながら、西参道入り口に立つ。既に何十人もの人がスタンバイしていた。
 30分程待っただろうか。東の空が次第に明るくなるにつれ、アンコール・ワットのシルエットが色濃く浮かび上がってきた【写真】。赤みの強かった空は穏やかなオレンジ色に変わり太陽が顔を出すと少しずつ青みを増していった。周囲の森から小鳥のさえずりが聞こえ、ついで蝉が鳴き出し、日の出を喜ぶかのように小鳥たちの舞い飛ぶ姿が見え始めた。荘厳で静かな夜明けであった。参道を中央祠堂に向って歩く人たちの姿が、薄くたなびく朝靄の中にスーッと消えていった。ふと気がつくと、周りにいたはずの沢山の人たちもいつのまにか姿を消していた。

 8時半、ホテルで朝食を済ませ、改めて本日の遺跡観光へ出発した。今朝走った同じ道を再度走る。昨日2往復したから、これでこの道を走るのは7度目ということになる。今日も暑い1日になりそうである。


◆ バイク事情
 通りを走る乗り物は、バイクが一番多いように思った。ひと昔前まで日本の町にも溢れていた50CCのホンダカブやヤマハ、スズキのバイクである。日本製のバイクは高価なので、殆どが中古車だそうだ。最近は、日本製をコピーした中国製バイクがたくさん出回っているらしい。なにしろ安価なのだそうだ。
 この国では、バイクに乗るのに免許はいらない。ベトナムも同じである。乗れさえすればよく、何の制限もないという。税なし。だからナンバープレートはつけていない。
 警察官が乗っているのも同じである。だから、盗難に遇うと見つけることは出来ない。プレートの付いているバイクは、輸入した時に付いていたものをそのまま飾りとして付けているだけだとか。乗車定員の制限もないから【写真下】、夫婦が子供二人を乗せて走っているのは珍しくない。勿論、ヘルメット着用なんて、とんでもないことだろう。殆どの交差点に信号はないから、自主的判断に基づいて通過して行くのだが、やはり、交通事故の起こらない日はないそうだ。
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乗車定員なしのバイクたち
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バイクタクシー
 タクシーに代わって活躍しているのがバイクであり、バイクタクシーと呼ばれていた【写真上】。ホテル前とか観光地にたくさん待機していたし、流しのバイクタクシーも沢山いるそうだが、特に目印もないので見分ける事は出来なかった。肌も露な若い女性が楽しそうに利用しているのを幾度も見かけたが、勇気の要ることではないのだろうか。お客を2人乗せて走るバイクタクシーもいた。万が一の事故には、どう対処するのであろうか。つい、そんな事を心配してしまった。


◆ トマノン
 アンコール・トムの北側、象のテラス前を通ったら、草地の草刈りをしている人たちがいた【写真下】。その他の場所でも見かけたが、鎌を振いながらの実にのんびりとしたこの国ならではの作業風景であった。能率は悪いが、こうした人たちの働きが遺跡の保護に寄与しているのであろう。
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遺跡の手入れ
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トマノンの門→ 
 トマノンは、アンコール・トムに沿って、その東側に建っていた。アンコール・トムより半世紀位前の建立らしいが、アンコール・トムの南大門とほぼ同じ造りの門があり【写真上】、門を入った道の両サイドにも同じように阿修羅たちがナーガの胴体を引きあっていた。しかし、その阿修羅たちの頭は殆ど残されてはいなかった。きっと宗教上での戦いがあったのであろうと思うが、それらの頭は今何処に眠っているのだろうか。
 この寺院はフランスの10年にわたる修復作業によって、現在はほぼ建築当時の姿が再現されているという。特に、壁面に彫られたデバダーは、彫が深く優美で美しい姿を見せてくれた【写真下】。向い側に建っているタ・ケウ寺院は修復されずに現在に至っているので、同じ時期に建立されたものとは思えないほどに崩壊の進んだ無惨な姿であった【写真下】
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デパダー
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タ・ケウ寺院


◆ タ・プローム
 この遺跡は、自然と遺跡の共存の実際をみせてくれるものとして有名である。
「自然と遺跡との共存」というと聞こえはよいが、決して共存の姿などという平和な眺めではなかった。そこは自然が容赦なく遺跡を崩壊させつつある驚愕の現場であった。

◆ チビッコ楽団
 タ・プローム入り口の広場で車を降りたら、そこには土産店が並び、娘たちが愛想よく声をかけてきた。その一角では、大きな傘の下でチビッコたちが太鼓を叩き楽器を奏しながら声を張り上げ歌を歌い始めた【写真下】。繰り返し繰り返し単調ではあるが明るいメロデイーを聞かせてくれた。当初、歓迎の演奏かと思った。ところが、彼等の前にはしっかりと空き缶が置いてあるではないか。グループの一人が、1ドル紙幣を入れた。音量声量が一段と高くなった。
 高まった音量のせいではないが、頭上からはらはらと舞い落ちてくるものがあった。
改めて地面をみると、直径3センチほどの小さな花びらであった【写真下】。白い花びらにはピンクの筋が入っており可憐な感じがした。何という木の花か聞きそびれてしまったが、それは広場一面に敷き詰めるように落ちていた。
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可憐な花びら
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 ←チビッコ楽団
タ・ブロームの四面仏→ 

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明るく元気な表情で演奏
◆ 身障者楽団
 タ・プロームの入り口に四面塔が建っていた。四面塔の頭には、まるで頭髪が生えているかのようにこんもりと木が茂っていた。自然との共生を象徴するような景観である【写真上右】。周囲にも鬱蒼と木が茂り、真直ぐ寺院に向って伸びている静かな参道を歩き始めたら、又しても賑やかな民族音楽が聞こえてきた。チビッコたちの演奏よりも格段にたくみなものであった。近づいてみると、演奏している男たちはすべて身障者であった。何と全員が地雷による負傷者であると言う。両足のない男もいた。痛々しい姿の彼等、どれ程に自分の不運を嘆き、悲しみ、怒りと痛みに耐えながらの日々を過してきたことであろうか。しかし、みんな明るく元気な表情で演奏をしていた【写真右】。地面に置かれてある空き缶に、何人もの人が1ドル紙幣をカンパした。彼等は、演奏する手を休めることなく、感謝の気持を示してくれた。平和になった今もなお、地雷による負傷者は後を断たないという。ガイドが言った。「道になっている地面だけを歩いて下さいね。まだまだ、危険はいっぱいですから。」

◆ 驚愕の現場
 崩壊が進む狭い塔門を潜って寺院の中に入った【写真下】。崩れ落ちるままに大小の石は至る所に放置され散乱していた。正に回廊の屋根を握り潰そうとでもするように、巨大なガジュマル(熔樹)の根が蠢いており、のしかかっていた【写真下】。石壁や石の基壇や石像にまでガジュマルの足が絡み付いていた【写真下】。このガジュマルは熱帯アジアに多く(沖縄でも見ることが出来る)、非常に成長が早い樹木である。この寺院に関しては、発見当時そのままの姿で、保存されることになっているという。何故なら、建物に取り付いたガジュマルを取り除くと、同時に建物も壊れてしまうからだそうだ。いずれにせよ、歴史的には、自然の中に埋もれ、消えていく運命であることは間違いなさそうである。100年後にはどうなっているだろう。1000年後には、寺院の断片だけが残されているのかもしれない。寺院を出た所に、そんな成り行きを見守る獅子が一頭だけ、ぽつねんと座って居た【写真下】。遺跡と運命を共にする覚悟でいるに違いない。
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タ・ブロームの塔門
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ガジュマルの根
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獅子像
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絡み付くガジュマルの根


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スラ・スラン

◆ 聖池:スラ・スラン
 タ・プロームから1キロ位東の方に「スラ・スラン」が在った。王が休浴する為に造られた人工の聖池であるが【写真上】、どうしてこんなにも広い池を必要としたのだろうか。ガイドは「大勢の僧侶が一緒に水浴した」と言っていた。青空の下で千人規模の僧侶が同時に水浴している情景を思い浮かべると、一種壮大なロマンさえ僕には感じられた。周囲は砂岩で縁取られ、池底はラテライトが敷かれているそうだ。村の若者が一人、テラスの下で水浴していた。今や、誰が水遊びしても構わないのだろう。ともあれ、そのあまりの大きさには呆れてしまった。

 (後半へ続く)

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