★ 2002 アンコールの旅
カンボジア国旗  ◆ 4日目(1月16日) 前半 目次へ
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【本日の旅程】=バンテアイ・スレイ見学→ロリュオス遺跡群見学

 今日も晴れ。暑い1日になるらしい。午前中はアンコール遺跡群の中で最も格調が高いといわれる遺跡と、最も古いと言われる遺跡を訪ね、午後はアンコール初期の遺跡訪問とトンレサップ湖でのクルーズを楽しむ予定である。


◆ バンテアイ・スレイ
 シェムリアップから北の方角におよそ40キロ余り、「女の砦」の意味をもつこの寺院は、繊細でかつ華麗な彫刻や装飾に満ちていたが【写真下】、寺院を囲む外壁の長さが400メートルしかないという小規模な遺跡寺院であった。赤いラテライトの砂岩が壁に使われ、参道にも敷き詰められているので、周囲の緑の木立とのコントラストもよく、色彩的に華やかな雰囲気が感じられた。池に投影された景観も美しく、聖なる池には蓮の花がひっそりと咲いていた【写真下】
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繊細なレリーフ
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バンテアイ・スレイ 全景
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赤いレリーフ
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中央伽藍
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デバターの一人
 この寺院がアンコール遺跡群の中で最も格調が高いと評されるゆえんは、赤い石材を使い、そこにいちだんと繊細で洗練された浮き彫り彫刻が施されているからであろう【写真上】。中央の伽藍【写真上】は、燃え立つような豪華さもあり、其処には幾人もの美しいデバターが佇んでいた【写真上】。中でも、「東洋のモナリザ」と称されているデバター像は、かってフランスの文化相も務めたことがあり、作家としても名高いアンドレ・マルローが盗み出そうとして逮捕され、その美しさが世界的に有名になったものである。その事件により、フランスは総てに優先して、このバンテアイ・スレイの修復に力を注いだということだ。
 画像では見たことがあるが、実物のそのデバター像に会いたいと思った。しかし、遺跡保護と修復作業の為と称してロープが張られていて、近寄って見ることはできなかった。残念ながら、観光客による被害を防ぐ為のやむをえぬ処置なんだそうだ。


◆ 修復中のプリア・コー
 「プリア・コー」とは、「聖なる牛」という意味だという。879年の建立で、アンコール遺跡の中では最も古い寺院である【写真下】。レンガで造られており、当時は、その上全体を漆喰で覆い、壁には繊細で華麗なレリーフ彫刻が施されていたらしい。その名残りが少しだけ残されていたが、当時の姿を偲ぶには、全体的に崩壊が進行し過ぎているように思われた。しかし、この最古の遺跡を守る為、ねばり強く修復の努力が行われている様子も見ることが出来た。
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修復中のプリア・コー
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レンガを砕く
 祠堂の上に日除けを張り、裸で修復作業をしている男の姿があった。寺院の裏手に木陰で作業している4人の女性の姿があった。そばまで近寄ってみると、彼女達は、レンガを砕いているのであった。半端に壊れてしまったレンガを金づちで叩き、粉にする作業である。粉にしたものを材料として、再度、修復の為のレンガ造りをする訳だ。何と言う悠長な作業であろう。ここには効率とか能率という言葉は存在しないようであった。彼女たちは、ゆったりと流れる時間の中で、和やかに会話を楽しみながら作業をしているように見えた。穏やかな3人の表情が美しく、いかにも平和な情景であった。そんな情景に心を動かされた友人も、何枚か写真を撮った。仕事を邪魔したお詫びとお礼に、友人が1ドル札をプレゼントした。少し驚いたようだったが、「オークン!」と言って両手を合わせたら、すぐに穏やかな微笑みを浮かべて受け取ってくれた【写真上】


◆ バコン寺院
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バコン寺院
 
 五基の基壇と中央祠堂は、世界の中心をなす山、つまり神々が住むメール山を象徴しているのだと言う。そして周囲の回廊や周壁は雄大なヒマラヤ連峰を意味し、その周りに造られる壕は無限の大洋を表している、そんな当時の宇宙観を具現しているのが、アンコール・ワットをその代表格とする寺院の姿である。このバコン寺院は、そうした宇宙観に従って造られた最初のピラミッド式寺院ということであった。
 中に入ってみても今迄見てきた寺院と同じだというので、外観を眺めるだけにした。太陽を背に受けたシルエットが、そんな宇宙観を単純化して見せてくれたように思う【写真】
 参道で、沢山の学生たち(4、50人)とすれちがった。日本語によるガイド養成の為の、実地研修を受けている生徒たちであるという。先輩にあたる我々のガイドと親しく挨拶する生徒も居た。現状では、日本語でガイド出来る人が不足しているのだそうだ。「しっかり勉強して下さいね!」グループの一人が声を掛けた。青年は嬉しそうに手を振って応えた。


◆ レストランへの道
 バスは、郊外のでこぼこ道を身をよじらせながら走った。乾期だと言うのに、水溜まりの連続する道があり、そこに避けて通れそうもない大きな水溜まりがあった。運転手は一旦バスを止め、バスから降りて水溜まりの深さを確かめた。そして慎重に、静かに水溜まりの中にバスを進めた。全員、息を呑んで見守った。バスはゆっくりした速度で水溜まりの中を進み、首尾よく走り抜けることが出来た。何人もの人が手を叩き、ドライバーの力量を称えた。ドライバーは照れながらも嬉しそうであった。
 幹線道路に出ると、さすがに道はよくなり、次々と窓外に現れては消える民家をぼんやり眺めながらのドライブになった。それらは、すべて高床式であった。風通しを良くする為もあろうが、雨期の冠水や洪水から難を免れる目的の方が大きいに違いない。同じ造りの家は二つとなかったが、いかにも粗末な住居が多かった【写真下】。周囲には椰子の樹が何本も生い茂っており、中には実をつけた樹もあった【写真下】。如何にも南国的な景観であった。
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シェムリアップの民家
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実をつけた椰子の樹→ 

◆ 唯一つの特産品
 庭先に建てられた小屋に大きな鉄鍋を据え、盛んに湯気を上げながら煮炊きしている人を何人も見かけた。暑い気温の中なのに、一体何を煮つめているのだろう?ガイドの話では、砂糖椰子を煮つめて砂糖を作っているのだと言う。その結晶を椰子の葉で筒状に包んだものを道端で販売していた。ガイドはバスを停めてそれを買い求め、全員に試食させてくれた。黒砂糖に比べて甘味の少ない素朴な砂糖菓子であり【写真下】、好評であった。ガイドは、この村だけの唯一つの特産品だと言った。
 バスは漸く村のレストランに到着した。びっくりする程大きく色彩豊かなレストランであった【写真下】。地理的に観光の拠点になっているのだろう。冷房の効いた部屋に落ち着くと、とりあえずビールである。毎日飲んでいてすっかりなじみとなったビールの銘柄は、アンコールという。記念にラベルを剥がしてもらって持ち帰った【写真下】
 村の中心らしい所でバスを停めてもらい、お土産に砂糖椰子の菓子を買い求めた。ほとんど全員の人が買った。一人で10本買った人もいたから、思い掛けない買い注文に村人は大喜びであった。(後半へ続く)

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砂糖菓子
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レストラン
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ビールのラベル

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