★ 2001 ピレネーと北スペインの旅
スペイン国旗  ◆ 3日目(5月26日) 【旅の全体地図】 目次へ
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【本日の旅程】=ジローナ→リポール→アンドラ公国(泊)

 9時30分、ホテルを出発。10時50分、リポール<Ripoll>に到着した。

◆ 旧サンタマリア修道院 【写真】
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旧サンタマリア修道院
 この街は、人口1万2千人の小さな街であるが、中世から北部カタルーニャの学問と文化の中心地となっている。その核になっている旧サンタマリア修道院を見学した。
 創建されたのは9世紀という。以後、増改築がくり返され、地震や火災にも遇って、現在12世紀のロマネスク様式が残るのは、正面入口(ファサード)の『石の聖書』回廊(クロイスター)だけになっているそうだ。
 教会内部【写真】の天井には、重さ100キログラムのカタルーニャの旗が下げられてあり、その表には龍を退治する初代カタルーニャ王ジョアンが、裏には聖母子像が描かれてあった。もともとロマネスク様式のものが途中でゴシック様式に改築されてしまったということだが、中央の身廊から見上げる空間には、ロマネスクの雰囲気が色濃く残されていたように思う。
 修道院の中庭は静寂に包まれており、歴史ある荘厳さが、柔らかなみどりの植込みに融和されて、心安らぐ思いがした【写真】
写真をクリックすると拡大画像が見られます 中庭にて
修道院の中庭
 ←修道院内部

◆ 石の聖書 【写真右】
 三大カタルーニャ芸術の一つとして有名である。因に、あとの二つは、『タウールの全能のキリスト』『ジローナの天地創造のタペストリー』である。
 凱旋門のような形の門一面が、ヨハネの黙示録、聖書の物語、ペテロとパウロの殉教【写真】、1月から12月までの様子が描かれたレリーフであった。門の左に建つ柱頭には、ロマネスクのユニークなレリーフ飾り【写真】が残されていた。
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石の聖書
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ペテロとパウロの殉教
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ロマネスクのレリーフ飾りの柱頭


◆ 素敵なランチタイム
 街の中心からは少し外れた静かな通りに建つレストラン『RECCAPOLIS』で昼食を頂いた。車ならば気付くこともなく通り過ぎてしまうだろう、そんな目立たない佇まいの店であった【写真】。一歩店の中に入った時の第1印象が素敵であった。白いカーテンで飾られた食堂は、わざわざ我々の人数に合わせて用意されたのかと思わせる程にぴったりの広さであり、グラスや食器やナプキンが美しく並べられたテーブルは広い窓からの光にキラキラと輝いて格別の美しさであった。一つだけの長い楕円テーブルを囲み、みんなの顔を見乍らのランチタイム。今日は、お互いの自己紹介も予定されており、格好の場が用意された訳である。
レストラン入口にて
レストラン『RECCAPOLIS』
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ランチ→
 水とワインとジュースが運ばれ、まずは乾杯!
マカロニのスープ、カタルーニャ風サラダ(生ハム)、豚肉の盛り合わせ(チョリート、肉だんご、モルシーリャ(血のソーセージ)etc)【写真】、カタルーニャクリーム(カスタードムース)、と、次々に運ばれてくる料理に舌鼓をうち乍ら、自己紹介も和やかな雰囲気のなかで進められ、話が弾んだ。嬉しいことに、カーバワイン(赤)はサービス、好きなだけ飲んでよろしいと言う。味わいの円やかな気持ちのよいワインであった。素敵な時間は、素早く過ぎ去ってしまうものである。せかされるようにして、レストランを後にした。


◆ アンドラ公国<ANDORRA>へ
 午後3時半、トセス峠<Colla de TOSES;1800m>【写真】でトイレ休憩。雲を頂いたピレネーの山並が、美しく眺められた【写真】。いよいよピレネー山脈に大接近である。
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トセス峠で休憩
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ピレネーの山並を望む

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アンドラのマンション群
 5時頃、国境を通過した。入国審査は簡単なチェックのみであった。
アンドラ公国は、山に囲まれた極めて小さな国である。しばらく走ると、谷間の道を挟むようにして大きなマンション群が姿を見せ始めた【写真】。ピレネーの田舎町とはうって変わり、嶮しい山間の斜面に建つ建物群は、正に高級リゾート地の趣きである。
 5時15分、首都アンドラ・ラ・ベーリャ<Andorra la Vella>に到着。バスを降り、エレベーターで6階分の高さまで上ったら、そこが町の中心であり広場であった。通りには銀行やスーパー、各種商店や土産店が並び、多くの観光客で賑わっていた。

◆ あまりにも小さな・・・
 現地ガイドのおばさんに案内されて、国会議事堂裁判所を訪ねた。それは、昔学校であったという小じんまりとした古い建物の中にあった【写真】。その建物の内部を改装して議事堂と裁判所が造られ、必要な時だけ使われているのだそうだ。議事堂は細長い部屋に左右1列に議員の席が並び、U字型に並べられた机に付属する木製の椅子は固定されていた。書記の机は議員席の中間に置かれ、会議の様子を見守る傍聴席には木製の長椅子が並べられていた。議員席は左右合わせて30席弱であったろうか、日本の村議会の会議室だって、これより大きいに違いない。正確な数はうっかり数えそこなったが、ともかくこの場が国会審議の場であることと、そのあまりにも小さな議事堂ならぬ議事室に吃驚させられていたのである。
 裁判所は隣の部屋であった。裁判長や判事の席が正面に並び、左右に検事と弁護士、中央に被告席、そしてその後ろに傍聴席。基本は同じであるが、その広さは小学校の教室と同じ位であり、裁判の勉強をする実習室のようでもあった。
 何故かカメラでの撮影は禁止だと厳しく言われ、画像として記録出来なかったのは残念である。
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議事堂と裁判所のある建物
ホテル
ホテル『ロック・ブランコ』→
 広場(運動場)に出て、アンドラの町を俯瞰した。ガイドが紹介した。町の外れに建つブルーの建物を指さし、「この国の刑務所なんです。」こんな平和そうで小さな国にも、あるんだーーー。いささか淋しい気持を味わった。「罪を犯すのは外国人ばかり」と、おばさんは言ってはいたが・・・。
 再び、同じエレベーターで下り、町外れに建つホテル『ロック・ブランコ』へと向かった。7時半。バスで10分余り。今夜の宿は近代的なホテルで【写真】、星が4っも輝いていた。ディナータイムは、9時からと知らされた。その頃、この山間にも日暮れが訪れるはずである。


◆ 不思議の国;アンドラ
 正式な国名は、『アンドラ公爵領国』と言う。フランスとスペイン国境のピレネー山脈東部にある内陸国。広さは横浜市くらいで人口は約6万6千人。1993年3月に独立を宣言し、憲法も制定した。非武装中立の立憲君主制である。
 不思議と言うか、羨ましいと言おうか、この国には課税がない。国民は、税金を支払わなくていいのである。それには、ちゃんとした裏事情があった。
 この小国では、ガソリン以外はすべて無税。日本の電気製品をはじめ世界中からの輸入品が格安で手に入るとあって、週末ともなればフランスやスペインから買物客が押し寄せてくるし、冬期はスキ−客で賑わう。つまり、国の経済は観光収入で成り立っているというのである。そういえば、人家のない山間に巨大なスーパーマーケットを見かけたが、あれは世界の輸入品を格安に売り捌く市場であったのだ。因に、アンドラ公国は、「ヨーロッパのスーパーマーケット」と言われているそうだ。免税で財をなしている不思議な国である。

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