★ 2001 ピレネーと北スペインの旅
スペイン国旗  ◆ 2日目(5月25日) 【旅の全体地図】 目次へ
目次
前の日へ
前の日
次の日へ
次の日
【本日の旅程】=バルセロナ→ヴィック→ジローナ(泊)

◆ バスツアースタート
出発の朝
出発の朝
 今日から10日間のバスツアーが始まる。終点サンチャゴ・デ・コンポステラ<SANTIAGO DE COMPOSTELA>まで通して運転してくれるホセ・マヌエルさんが紹介された。我々を終点まで運ぶ為に、サンチャゴからはるばる此所まで迎えに来たのだという。40才位かな?温厚でがっしりした体格、自国語しか話せないと言う大男だが、いかにも信頼できそうで好感が持てた。全員拍手で、どーぞ宜しく!と挨拶したら、ニッコリ笑って応えてくれた。
8時、ホテルを出発。、白い大型観光バスは、総勢15人の我々には贅沢すぎる程の余裕の座席である。それぞれ好きな場所に座り、まずはビック<Vic>を訪ねることになった。

◆ ビック <Vic>
 国道152号線を北に向かって約90キロ、バスはスムーズに走って凡そ1時間でヴィックに到着した。人口約3万人、ローマ時代から続く歴史ある小さな町である。旧市街の中心:マヨール広場【写真】で下車、此所から旧市街をひと回りした。街は閑散としており、霧もかかって肌寒く感じながらの観光になった。ロマネスク様式を留めるカテドラル(大聖堂)は、工事中であり中に入ることは出来なかったが、鐘楼の眺めには1000年の歴史を感じさせるものがあった【写真】
写真をクリックすると拡大画像が見られます
マヨール広場
写真をクリックすると拡大画像が見られます
カテドラルの鐘楼→ 

◆ 司教美術館(元サンタクルーリュ病院)
写真をクリックすると拡大画像が見られます
司教美術館
 ここは、カタルーニア地方に点在する教会からロマネスク美術ビザンティン美術の作品が集められている小さな美術館であった。幅6メートル、奥行き12メートル位の展示室が一つあるだけであったが、見ごたえ十分の内容であった。
 ロマネスク美術とは、11世紀から12世紀中頃にかけてフランス・イタリアを中心にヨーロッパ諸国で用いられた美術全般の様式をさしているのだが、次に現れるゴシック様式とは余りにもその内容を異にしているように思う。第一に堅固さが対照的である。当時の教会は、建築技術面での未熟さはともかく、小さな明かり取りの窓しかない暗い空間であり、只ひたすら祈りを捧げることが出来る場であれば、それで充分に使命を果たしていたのだと思う。厚い石壁と飾りの少ない堅固な造りがロマネスク建築の特徴である。次に言えるのは、素朴で飾りがなく、地域に密着した生活感の違いということであろうか。例えば、画像に取り上げたキリスト磔刑像は、司祭の服装をしており、三つ編みにした髪を肩に垂らしているが、当時の司祭がキリスト教布教の為に考え出した極めて珍しいキリスト像と言わざるを得ない。「血と汗の臭いがする」と言った識者もいるが、マリア像や巡礼者の像など、何と力強くおおらかで身近な存在に感じられることだろう。こうしたロマネスク美術が、圧倒的に力強く生命力に溢れているのは何故であろうか。手の届く距離に並ぶ作品に見入りながら、心はそんな疑問と驚嘆にゆれ動かされていた。【写真下】
写真をクリックすると拡大画像が見られます
キリスト像
写真をクリックすると拡大画像が見られます
キリストとマリア
写真をクリックすると拡大画像が見られます
巡礼者
写真をクリックすると拡大画像が見られます
最後の審判
写真をクリックすると拡大画像が見られます
旧約聖書物語
写真をクリックすると拡大画像が見られます
全能のキリスト像

◆ バルセロナ <BARCELONA>
 10時半、再びマイヨール広場に戻り、バルセロナへ向かって引き返した。
昼時の中心街は交通が渋滞しており、カタルーニヤ広場は大勢の人で賑わっていた【写真】。賑やかな通りに2人の大道芸人が、マネキンとなってポーズを取っていた【写真】。時々傘を廻しては生きていることをアピールする。見事なマネキンにしばし見とれてしまったが、ポーズを決めると瞬きすらしないようであった。
 通りに面したレストラン『LA POMA』で昼食、窓から外を眺めていたら、そのマネキンの姿が小さく見えた。マネキンの前後には、絶え間ない人の流れがあったが、くるくる傘が廻る都度、流れはつかの間動きを止めているように思われた。
写真をクリックすると拡大画像が見られます
カタルーニヤ広場
写真をクリックすると拡大画像が見られます
見事な大道芸人→ 

◆ 悪名高いカタルーニヤ美術館
写真をクリックすると拡大画像が見られます
カタルーニヤ美術館
 新石器時代から人が住んだといわれている歴史あるモンジュイックの丘は、現在でも文化的施設や、1992年バルセロナオリンピック競技会場などのスポーツ関係の施設やスペイン村があり、産業見本市などのイベントが開催されるなど街の顔として生かされている。その中の一つがカタルーニヤ美術館である【写真】
 ロマネスク美術のコレクションでは世界一を誇っているそうだ。なるほど、質量ともに唸ってしまう程の内容であった。しかし、ピレネーの山深い小さな村から、極めて強引なやりかたで集められてきたものといわれ、その面では大変悪名高い美術館である。確かに、保存のことを重視すれば、空調の完備した美術館がベストであろうとは思う。しかし、それらはピレネーの犠牲にされた面が大きすぎるのではないかとの批判が強いのである。ちなみに、タウールに在るサンクレメンテ教会サンタマリア教会の壁画や備品など、総て合わせて100万円足らずで(19世紀後半)、カタルーニヤ美術館に奪われてしまったといわれている。(これらは現在のカタルーニヤ美術館の目玉になっている。)
 ボイの谷に在る聖ジョアン教会聖堂内壁に描かれた絵など、そっくりそのまま運ばれてきたものが、多数展示されていた。中でもサンクレメンテ教会の壁画『荘厳のキリスト』は見ごたえのあるものであった。残念ながら展示室はすべて撮影禁止であり、見張りも厳しいので撮影は諦めざるを得なかった。正面入口からは、スペイン広場とバルセロナの町並みを展望する事ができた。


◆ ジローナ <GIRONA>
 この街を訪ねるのは、これで2度目である。96年の夏、バルセロナから列車に乗り日帰りで訪ねたのであるが、それは「川沿いに建ち並ぶ美しい家屋」【写真下】を取材するのが目的であった。生憎、天候に恵まれず残念な思いを引きずっていた街である。今回は、幸いなるかな素晴らしい天候に恵まれた。カラフルな中世都市の街並みが、ゆったり流れるオニャール川の川面に投影している様はそのまま一枚の絵であり、飽かず見とれてしまった。
 この街は人口約7万人。ローマ時代からさまざまな民族の侵略に遇い、17〜19世紀には35回も包囲された為、『シウダード・ロス・シティオス』(包囲の街)と呼ばれている。ナポレオンに攻められた時も1週間に亘り耐えぬいたと言われているが、それほどに重要視された街であり堅固な要害の街であったということであろう。
写真をクリックすると拡大画像が見られます
オニャール川沿いに建ち並ぶ美しい家屋
【水彩画の完成作品はこちら】
カテドラルの中庭
カテドラルの中庭

 旧市街を散策し、丘の上にそびえるカテドラル(画像左手)も見学してロマネスク様式の静かな中庭【写真上】で一息ついた。再度オニャール川に戻ってきたら、陽は西に傾いており、川面は鈍く色褪せて見えるだけであった。

 バスに乗り、郊外に建つホテル・メリアコンフォートに向かった。今日は、盛り沢山の1日であった。疲れたが、近くのスーパーに行って、ビールとスペイン北部の地図を買った。

ライン


ホームへ
HOME
目次へ
目次
前の日へ
前の日
次の日へ
次の日