★ 2000 阿蘇周辺の旅
 ◆ 3日目(5月10日) 【旅の全体地図】 目次へ
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【阿蘇拡大地図】
【本日の旅程】=田崎廣助画碑→城山展望所→仙酔峡→阿蘇内牧温泉郷(泊)

 今日は朝から薄曇り、朝日も射さず山全体がどんよりとしていて、締まりがない。6時半から1時間かけて中岳・高岳の佇まいをコバルト一色で写生しました。


田崎廣助 画碑
国民宿舎前に田崎廣助先生の画碑が建てられています。

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田崎廣助 画碑

 阿蘇を師と仰ぎ、阿蘇の四季を描いた日本洋画壇を代表する芸術家の一人です。僕にとっては人生の恩師であり、永年絵の指導をして頂いた大切な人です。昭和50年に文化勲章を授与され、昭和59年、心不全のため86歳で急逝されました。先生の偉業を称え長く後世に伝え記念するため、沢山の人たちが資金を出し合って、昭和57年9月、この展望の良い場所に先生の画碑を建立しました。それから何度もこの画碑の前に立っていますが、その都度先生の教えを反芻し鼓舞されています。早いもので、建立されてから20年近くの歳月が過ぎてしまいました。


◆ 根子岳写生
 9時、宿舎をあとにしました。国道265号線を北に走り、根子岳の東側で車を停めました。南側の斜面を登り、山腹に沿って蛇行する265号線を眼下に望みながら眼前に聳える根子岳を写生することにしました。風が強く、山頂は流れる雲に顔を見せたり隠したり、突如薄日に顔輝かせたりの変化の激しい様子に、自然と絵筆のタッチも激しいものになってしまいました。


◆ 城山展望所
 11時、外輪山の一角にある城山観望所にやってきました。大観峰より東に10km位の地点です。先程写生した根子岳が遠く霞んでみえます。曇り日だから、見晴しの効かないのは止むなしと断念しましたが、足元の木々や草花に初夏らしい爽やかさがあり、これを近景に中景には水田を入れ遠く霞む阿蘇五岳を写生することにしました。今にも降り出しそうな空模様もあって、観光客に邪魔されることもなく仕事をするが出来ました。

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城山観望所より阿蘇を望む(左が根子岳)



◆ 仙酔峡
 ミヤマキリシマの群生地として有名な所です。花に仙人が酔うほど美しい峡谷だということからこの地名がつけられたそうです。今年はまだ5分咲きであると教えられましたが、下見を兼ねて訪ねてみることにしました。中岳目指してグングン高度を稼ぎ、山頂へのロープウェイ阿蘇山東駅の前が仙酔峡、正に全山ミヤマキリシマで被われており、満開時の美しさが想像されました。そこは、中岳への登山口でもあり、岩山で険しい鷲が岳が展望できる尾根には、沢山の遭難碑が建てられていました。今日は、風が強いので、ロープウェイは動かず、出来たら火口を覗いてみようと思っていたのでしたが、果たすことが出来ませんでした。

 空模様は怪しいし、今日は早めにチェックインすることにしました。内牧温泉卿の一角に建つ『火の国会館』が今夜の宿です。早速、旅の疲れを癒そうと、贅沢に溢れ流れる温泉に飛び込みました。

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 ◆ 4日目(5月11日)
【本日の旅程】=阿蘇内牧温泉郷(泊)

 夜中から降り出した雨は、朝になっても降りやまず、今日はゆっくり休養することにしました。ロビーで新聞をみていたら、すぐ近くで郷土の画家の回顧展を開催しているという。傘をさして見に出かけました。氏は90歳になっても戸外で写生をされていたという。子供達が協力して父の回顧展を開催しているのでした。きっと子供たちにも尊敬されていたのでしょう。いかにも温厚そうな遺影があり、何と幸せな画家としての生涯であろうと思い乍ら、多数の作品を鑑賞させてもらいました。展示作品は、花と阿蘇山の風景で占められていました。

今夜も『火の国会館』に沈没です。

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