★2005・スイス(イタリア・ドイツ)の旅
◆7日目(7月19日)晴れ 目次へ
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(今日も、昨日に続いて、家内の日記から転記する。)

 5時半にトイレに立ち、また少し横になっていた。7時前に起きた時、もう雨は止んでいた。 ちょっと肌寒い。7時半に朝食に降りたが、誰も居ない。暖かなパンが用意されていたので、ティーは後回しにして食べ始める。 干し肉のスライスもカットフルーツも美味しかった。
◆札所巡り(その2)
セガンティーニ札所3
セガンティーニ札所4


 9時、チェックアウトして荷物を預け、まだまわっていない札所巡りに出掛けた(5カ所残っているが、その内2カ所は遠すぎるので諦める)。
札所Bは,気付かず通り過ぎたが、以前にさんざん苦労して探したC【写真上・右】は、思ったより簡単に見つかった。 懐かしい道【写真右】にはMがスケッチしたベンチもそのまま残っている。 農家のそばのstation4からの風景は、正に“死”に描かれた風景そのものであった【写真下】。 Mは早速描き始めた。私は一度ホテルへ引き返したが、その途中で札所Bを発見した【写真上・左】。 "Return to the Homeland"は、山の位置をずらして描いたようにも見えたが、たしかにパネルのあたりから見た風景であろうと思われた。
[死]に描かれた山並み
セガンティーニが歩いた道
 Mの所に戻ってきたら、画板やパイプ椅子を持ったグループが札所Cのそばで、リーダー(?)の説明を聞いていた。 次々と通り過ぎるハイカーたちが「ヤア!」と声を掛けて行く。 そんなハイカーの中に私たちと同じ位の年配の夫婦がいて、一言断ってMの絵を見に近寄ってきた。 そして、自分が描いた絵も見てほしいと言う。 それは、小さなスケッチブックにカランダッシュの色鉛筆で丁寧に描いた風景画であった。 M に“綺麗な色で素晴らしい”と誉められ嬉しそうであった。

 Dは、リフトのワイヤーが上に向って伸びている山道を少し登った所にあった【写真下・2点】。 「私のアトリエ」とは、どういう意味なのだろうか。 野外に立てたキャンバスの前に数人の男たちが座り、セガンティーニだけがカメラの方を向いている写真が在った。 そのパネルの側に腰を降ろして昼食(サンドイッチ、オレンジ、お湯)にした。
セガンティーニ札所5A
セガンティーニ札所5B


 今まで知らなかったビューポイントをいくつか発見して、Mは又マロヤに来たくなったと言う。 花や蝶、風景の写真を撮り乍ら、ゆっくりホテルに帰った【写真右】【写真下】。 (i)に寄って、Sentieroのパンフレットをもう一枚入手。 昨日話した女性に、遠方にある二つのstationを除いて、みな見つけたと報告。
ホテルに帰る
セガンティーニが歩いた道に咲いていた花



キルヒナーとお別れ
 峠のキオスクで店番をしているキルヒナーに別れを告げる【写真左】。 お土産にマーモットのぬいぐるみを一匹買い求めた。バス停は近いから荷物は自分で運ぶと言ったのに、 キルヒナーの電話で、一つ先の郵便局前まで支配人が車で送ってくれた。 大きな荷物を積み込むには小さなバス停より都合がいいと言う。成る程、その通りであった。
マロヤ風景(水彩)
◆ソーリオへ
 13:44発なのに、ポストバスは10分程遅れてやってきた。降りる客が多く、又出発が遅くなる。 プロモントーニョでの乗換え時間は1分しかないのに・・・と、少々気になった。 しかし、スイスの乗り物の接続は上手く出来ていて、遅れて着くバスを待って発車するのが普通である。 思った通り、ソーリオ行きのバスはちゃんと待っていてくれた。

 座席は、半分位埋っていた。初めて来た時のような胸の高鳴りはないが、懐かしさで一杯になる。 バスを降りた所で、ベルン近くに住むという女性が話しかけてきた。 2週間前に一人で日本へ行き、万博を見て来たと言う。親切な人で、私の荷物をホテル近くまで引っ張って行ってくれた。

 フロントの男性には見覚えあり。5年前に泊った31号室に案内される。 雪が少なくなったが、ベランダからよく見えるブレガリアの山々を、Mは早速描き始めた【写真右】【写真下】。 ティーとチョコレートのおやつ。長袖シャツ2枚などを洗った。
ソーリオ風景


ブレガリアの山並み


 6時半、ディナーへ。レストランは閑散としていた。 見覚えのあるおかみが、テーブルに白いカバーを掛け、それからワイン(ティチーノ州の赤)を選んだ。 3晩で飲むつもり。少々酸味があるが、まあまあである。
 カボチャのニョッキ、野菜スープ、サラダ、ローストビーフ、アイスクリーム。
 1時間半をかけて終了。ちょっと、食べ過ぎた。
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