★ 2000 のんびり・スイスの旅
スイス国旗  ◆ 16日目(7月26日) 小雨 【全体地図】 目次へ
目次
前の日へ
前の日
次の日へ
次の日
【本日の旅程】=サメダン→ダヴォス(泊)

 昨夜も盛大な降雨。不安定な天候が続く。9時、小雨の中をダヴォスに向う。

◆ ダヴォス <Davos>
写真をクリックすると拡大画像が見られます
雨上がりのダヴォス・プラッツ駅前
 10時10分、フィリズール<Filisur>で列車を乗り換え、凡そ30分でダヴォス<Davos>に到着。雨は上がり、町全体が明るい光に包まれようとしていた【写真】
 ここは国際的なアルペンリゾートとして、或いはウインタースポーツのメッカとして世界的に有名な所である。3000m級の山々に囲まれ、沢山の展望台とハイキングコースが整備されているとガイドブックに書かれていた。だから今回初めて訪ねることにしたのだが、いかにもそれらしい近代的な建物が立ち並ぶ都会的な町であった。ちなみに、日本のスキーヤーには人気の長野県菅平(真田町)とは姉妹町になっているのだが、一般にはあまり知られてはいないようである。(3日滞在したが、日本人観光客に出会うことはなかった。)
地図

◆ 今夜のホテル

 まずはインフォメーションを訪ねて(駅から徒歩10分位)、今夜の宿を探してもらう。1泊100SF以下という条件には難しい顔をされてしまったが、何とか見つけることが出来た。但し、エレベーターはついていない。それにしても意外であった。ダヴォスとしては今はベストシーズンではない時期だから、宿は容易に見つかると楽観していたのである。それは、駅近くの少し坂を上がったところに建つていた。小さなホテル『QUISISANA』。しかし、やけに目立つホテルであった【写真】
 玄関のベルを押してみたが応答がない。ドアは閉まっており、人の気配もしない。もしかして休業中のホテルを紹介されてしまったのだろうか?まさかとは思うが確認しない訳にもいかない。家内は僕と荷物をホテル前に置いて、再度杖を突き乍らインフォメーションに引き返した。

写真をクリックすると拡大画像が見られます
HOTEL QUISISANA
 間もなく、ホテルから若いオーナー夫妻が現れた。恐縮した様子で「玄関ベルが故障していること」、「ドアは硬くて強く押さなくては開かないこと」を説明して謝った。とても好感のもてるオーナーであった。休業中などとはとんでもないことで、空いていたのは最上階の部屋が1室だけであった。最上階と聞かされいささかげんなり、荷物を眺めて浮かぬ顔をしたらしい。彼はニッコリ笑うと両手に荷物を持ち、足取りも軽く階段を上がって行った。「階段上りを苦にするようになったんじゃーー人間お終いだなーー」自嘲し乍ら後に続く。案内された部屋は、見晴らしがよく、清潔で感じのよい部屋であった。

 彼の話によると、29日に恒例の第15回スイスアルペンポストマラソンがこの町で開催されることになっており、それに参加するランナーや家族が世界中から集まってきているので、ホテルはどこも混んでいるのだと言う。だから、宿泊料も割高になっているらしい。しかも今年は、5000人ものランナーが登録しているというから大変なことである。こんな国際マラソンに遭遇するなんて、思いもしないことであった。今夜はとりあえずのつもりであったこのホテルであるが、続けて3泊することにした。


◆ ゲストカード
 ダヴォスの町は、南西のプラッツ<Platz>から北東のドルフ<Dorf>までおよそ3.5キロの細長い町である。僕らは賑やかなプラッツの方のホテルを選んだのだが、こちらの方が何かと便利で交通費も安く上がるだろうと思ったからである。しかし、そんな配慮は不要であった。市内のホテルに滞在する客用のゲストカードがあれば、市内に限ってバスには無料で乗車出来ることになっていた。他にも各種割り引き特典があったようだが、利用する機会がなかった。このカードは、観光客誘致の為に考え出されたこの町独自の施策である。なかなか積極性が感じられるし、思わぬ優遇に気分を良くする。



◆ キルヒナ−美術館 <Kirchner Museum>
写真をクリックすると拡大画像が見られます
キルヒナー美術館入口
写真をクリックすると拡大画像が見られます
美術館前よりダヴォスの街並を望む
 天候が不安定なので、山に行くのは止めた。そのかわりこの町の看板でもあるキルヒナ−美術館【写真上左】を訪ねてみることにした。Ernst Ludwig Kirchner(1880-1938)は、ドイツ表現主義を代表する画家で、20年程この町に住み、精力的な制作活動を展開したようである。彼の仕事を集大成しているのがこの美術館であるが、この町周辺の風景画がたくさんあり、いかにも才気溢れる作品も多数展示されていた。鋭い感性が自らを追い込んでしまったのだろうか、彼は58歳の若さで自殺した。惜しまれる芸術家の一人である。だがすくなくとも僕にとっては、期待したほどの心ときめく作品との出逢いは得られず、一時間程で退出した。美術館前から市内が展望出来た【写真上右】。それは、キルヒナーの眺めたものと同じであった。左手に市庁舎の尖塔があり、マッターWホルンに似たTinzenhorn(?)が右手奥に望まれた。


 頻繁に行き交う無料の循環バスを横目で眺め、1本道のメインストリートをブラブラ散策し乍ら、帰途につく。道の両サイドには商店が並び、ホテルや銀行、画廊もありカジノまで軒を連ねていたのには驚かされた。僕らがホテルに帰り着くのを待っていたかのように、重く垂れ込めていた雲に閃光が走り、激しい雷雨になった。

ライン


ホームへ
HOME
目次へ
目次
前の日へ
前の日
次のページへ
次の日