★ 2000 のんびり・スイスの旅
 ◆ 11日目(7月21日) 快晴 【全体地図】 目次へ
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【本日の旅程】=マローヤ(泊)、コルヴァッチュ展望台訪問 →ムルテルからフォルクラ・スールレイ往復トレッキング・写生→シルスマリア訪問

 今日は、コルヴァッチュに行くことにした。バスの時刻を調べると8時の次は10時。8時のバスでは慌ただしいし、10時ではいささか出遅れてしまうのが残念だ。しかし、やむを得ない。それまでのんびり過ごすことにした。シャワーを使い、洗濯も済ませた。(後になって分かったのだが、一時間早く出発出来るブルーバスがあったらしい。後の祭りである。)


◆ コルヴァッチュ<Corvatsch 3298m>
 シルヴァプラーナで一度乗り換え、スールレイのロープウェイ乗り場までバスで行った。
 此所は、ベルニナ・アルプスを間近に見る事の出来る展望台として人気のある場所である。寄り道をしないで真直ぐ此所まで来たのだが、結局11時半になってしまった。快晴の展望台は、登山者やカメラマン姿も多く、山頂レストランからは、目の高さで主峰ピッツ・ベルニナ<Piz Bernina 4049m>ピッツ・ロゼック<Piz Roseg 3937m>を眺めることが出来る【写真下左】。澄みわたる青空のもと、右手に聳えるコルヴァッチュ本峰の白い稜線には頂上を目指す人の姿があり、更に頂上に立つ人影も望見することが出来た【写真下右】。360度の展望、さぞかし素晴らしいことであろう。
 レストランでココアを注文し、見晴らしの良いテーブルにスケッチブックを拡げる。しかし、ここはレストランのいわば1等席である。家内が心配して許可を求めたら気持ちよくOKの答えが返ってきた。ウエイターたちは最後までニコニコし乍ら見守っていてくれた。【油彩画の完成作品はこちら】
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ピッツ・ベルニナ(中央)とピッツ・ロゼック(右)
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コルヴァッチュ本峰


◆ フォルクラ・スールレイ <Fuorcla Surlej 2755m>
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フォルクラ・スールレイへの道
 コルヴァッチュから下りのロープウエイに乗り、途中ムルテルで下車。フォルクラ・スールレイに向う。山腹にほぼ水平に刻まれた道は、展望の良い格好の散歩道である【写真左】。先年、この道を歩いていて僕らと同じ年代の日本人夫妻と知り合った。共に展望を楽しみながら、そこで頂いた羊羹がすこぶる美味しかったこと、翌日、思い掛けない場所で再会したことなど懐かしく思い出された。その後も親しくおつき合いいただいているが、得難い出合いであったと、しみじみ思う。人との出会い、これからも大事にしていきたいと思う。
 高山に咲く可憐な花たち【写真下左】を愛で乍ら、のんびり歩いて一時間。最後に少しだけ登って鞍部に出ると小さな池があり、その向こうにベルニナ山群の雪嶺が並んでいた。少し見上げる角度の眺望は、また格別に素晴らしい【写真下右】。しばし、パンなどを食べ乍ら眺望を楽しんだ。前回は足下にも雪があり、寒さに震え乍らスケッチしたのだが、今回は日差しを避ける岩影を探して腰を据え、ゆっくり写生に取り組むことが出来た。【水彩画の完成作品はこちら】
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高山に咲く可憐な花
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フォルクラ・スールレイより望むベルニナ山群


◆ シルス・マリア <Sils Maria>
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シルス・マリアの観光馬車
 「もしも老年の最後の日々を、どこですごしたいか、ひとつ選べと言われたら、私はためらうことなく答えるだろう、シルス・マリアと。シルスの湖畔と。」
 犬養道子氏が『私のスイス』の中で絶賛していた村である。だから、イメージとしては素朴で静かな美しい村であり、いかにも哲学者ニーチェが滞在するのに相応しい村であった(1881〜1888にかけて滞在)。いつの日にか訪れてみたいと思ったことであるが、そのエッセイの最後の部分にこんなことが記されてあったのは皮肉である。

 ・・・・・「書いてくれるな」と、シルスをこよなく愛する友が言った。「書いたら、人が来てしまう」・・・・・。

 気ままなのんびり旅である。この村でバスを途中下車し、しばし散策することにした。町の中心の通りには観光用馬車が、蹄の音を響かせ乍ら行き交っていた【写真】。お土産屋が目につき、何よりも観光客の多いのに驚いた。

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ニーチェの家
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玄関の上の表札
 『ニーチェの家』【写真右】は健在であった(現在は博物館として公開されている)。湖の美しさは昔のままに違いない。しかし今、もしも同じ質問を受けたとしたら、犬養氏はためらうことなく同じ地名を答えられるだろうか。僕の思いは、はっきりノーである。観光立国のスイスであれば、現在のシルス・マリアの変貌はやむを得ないことであろう。しかし、やはり僕個人としてはいつまでも静かで心安らぐ美しい村であって欲しいと思う。更に、「昔日のシルス・マリアに匹敵する村が果たして今のスイスに残されているのだろうか」とも思うし、「まだあるかもしれない」、「あればいいな」と思う。
 通りに面したビアガーデンに席を取り、居並ぶ豪華なホテルなどを眺めながら、冷えたビールをオーダーした。思えば、『私のスイス』が出版されてから、ほぼ50年の歳月が経とうとしている。


◆ ココシュカの部屋
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ココシュカの部屋にて
 宿泊中の『ホテル・マローヤ・クルム』は、長い歴史を持つホテルである。だからこのホテルには、歴史にその名を残す沢山の文化人が宿泊したことがあるらしい。その中に僕らが知っている画家がいた。オスカー・ココシュカ<Oscar Kokoschka>(1886〜1980)。オーストリアの画家であり版画家でもあるが、ナチス政権に迫害されてロンドンに亡命したあと、晩年にはスイスに安住の地を見つけ、円熟した作品を残した芸術家である。その彼が、このホテルに滞在する時には使っていたという部屋が3階に在る。勿論オーナーは彼と面識があり、「その部屋で絵を描いていたよ」と先年語ってくれたことがある。前回は希望しても無理であったが、今回は「ご希望ならば今夜からOKだよ」と言ってもらえた。早速、移動して明日まで使わせてもらうことにした。天井は低く、特に彼を偲ぶものが残されている訳でも、特別に立派な部屋である訳でもない。唯、敬愛する画家をより身近に感じてみたいと思ったからである。少々ガタがきている小さな窓を開けると、眼下にはマロヤ峠の展望台が在り、谷から吹き上げてくる涼風が白いカーテンを震わせた。かってココシュカも此処に立ち、同じ景色を眺めたに違いない。そして、どんな作品がうまれたのであろうか。見てみたいと思った。(帰国してのち、彼の生涯をたどり、彼の作品を再度見直してみることになった。)

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