★キューバの休日8日間
◆6日目(1月18日) 晴れ・くもり 目次へ
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 9時出発。今日は、コヒマールに立ち寄ったあとハバナに向い、空路トロントへ飛ぶ。 キューバ観光は、実質、今日で終りである。
◆コヒマール
 此処は、ヘミングウエイゆかりの村。到着したのは10時。ランチタイムには早過ぎるので、村を散策した。 海岸に砦が在り、すぐ側にヘミングウエイの記念碑が建てられていた 【写真左下】【写真下】【写真右】。 コヒマールの漁師たちが彼を偲んで建てたものだそうだ。
 そのゆかりと言うのは、彼の代表作「老人と海」の物語は、この村の漁師がモデルであったと言うことだ。 彼は、取材の為に何度もこの村を訪れており、ひいきにしていたレストランは今も健在。 我々も、そのレストラン:「ラ・テラーサ」で昼食を頂くことになった。
コヒマールの要塞

要塞と記念碑遠望

ヘミングウエイ記念碑

 食堂には、彼の写真と、モデルであったといわれるグレゴリオおじさんの写真などが飾られていた 【写真下・3点】。2002年1月まで、この村で生きておられたそうだが、死去された時は104歳。 小説に登場する老人漁師のイメージとぴったり合致する容姿であった。帰国したら、もう一度「老人と海」を読み直してみようと思う。

カストロとヘミングウエイ

「老人と海」のモデル

モデル:グレゴリオおじさん

◆帰途につく
 早めの昼食を済ませて、空港に向う。チェックインを済ませ、ガイドしてくれたMさんとは此処で別れた。
 淡白な別れになってしまったのは、やむを得ない結果かな、と思う。そつなくガイドはしてくれたが、 それ以上のことが感じられなかったからかもしれない。序でに言うならば、添乗員に対しても、同様な感想を持ってしまった。 過去に、何度となく素晴らしい添乗員との出逢いがあったし、その逆の場合もあった。 旅の成果は、添乗員やガイドの働きによって大きく左右されてしまうのは事実だから、 そんな意味で今回はいささか物足りなく思えてしまったのである。

 「キューバの休日8日間」と言っても、カナダのトロントで2泊、機内1泊なので、実際にキューバに滞在したのは、 中5日間に過ぎない。あっという間の旅であったと思う。短期間ではあったが、初めて訪れた国、しかも激動の歴史を 今もなお刻みつつある国である。それだけに刺激も多く、考えさせられることも多々あり、宿題も抱えさせられたように思う。

 16時10分、AC-989便、ハバナ国際空港を離陸、18時40分、トロント国際空港に着陸。 外の気温、マイナス17度。体感気温はマイナス20度以上。肌に痛く感じる寒さであった。 出迎えの車に乗って、DELTA TOLONTO AIRPORT WESTへ直行。 部屋のカーテンを開けると、遠くの町の灯りが奇麗に見えた【写真右】。凍てつく寒さが空気を奇麗にしているらしい。
-20度・トロントの凍れる夜景

◆まとめと感想
 このホテルは、流石一流だと思う。エアコンが作動しているはずなのに音が聞こえない。
 設備もインテリアも行き届いており、落ち着けるのは何よりである。一息つけたところで、5日間のバスの中で、 Mさんに聞いたキューバの現状についての話を思い返し乍ら、そのまとめと旅の感想を記しておこうと思う。

 1963年からアメリカによる諸外国を巻き込んだ強力な経済封鎖を受け続けて、 さすがに物流面では相当不自由している様子が実感できた。例えば、割と高級なホテルに宿泊したのだが、 バスタブはあっても栓の補充が出来なくてお湯をためることが出来ず、シャワーで我慢させられたこと。 一般の市民生活のレベルでは,推して知るべし。便座なしの便器、お湯の出ないシャワーは常識だと聞いている。 自動車やバスが不足していて定員なんて無視されている現実も目にした。バスに乗ろうとすれば何時間も待たされ、 やむなくヒッチハイクに頼らざるを得ない現状、高速道にもそんな人を沢山見かけた。 しかし、一時は極貧状態にまで追い込まれたキューバ国民が、力を合わせてその窮状からの脱出に成功しつつあることも感じられた。 そんな下積みの長い歴史が、今日の自信と平和につながっているのであろう。街で出逢う人たちに、 物不足の不自由など意に介する様子は感じられなかった。手入れの良いクラシックカーやまだらな塗装になってしまった車も 新型車と肩を並べて仲良く元気に走っていた。

 社会主義国だから国営が中心になるが、現在では個人経営も一部認められつつあると言う。 国を代表するサトウキビ栽培がその例らしい。果樹栽培もそうだが、国を支える農業は、国民全体の力で支えられなくてはならない、 という国のポリシイがあり、学生たちは一定期間、労働奉仕をしながら学習する仕組みになっているという。 Mさんも体験した時の話を聞かせてくれたが、少しも辛い経験ではなかったらしい。広大な畑の中に、 そうした校舎があるのをバスの中から見ることが出来た。キューバらしい教育システムだと思った。

 ラテンアメリカの国の中では、キューバの教育水準は高く(日本と同じ6・3・3・4制で学費は無料)、 特に医学分野が充実しているらしい。医師の海外ボランティア活動は世界的に評価が高いそうだ。吃驚したことがある。 それはアメリカからの医学留学生を受け入れているということ。国交がないから、 希望する留学生は第3国を経由してやってくるのだそうだ。同じ方法で観光客として訪れるアメリカ人も多く、 民間レベルでの敵対関係は何もない、と言う。敵対しているのは、政治の分野だけである、とMさん。いささか信じがたい話であるが、 話半分にしても小国キューバのほうが度量のスケールが大きいではないか。気持ちの良い話である。

 高い識字率(98〜100%)にも驚いた。革命後の61年頃から「全国識字運動」が政府主導で進められ、 読み書きを知るあらゆる市民が教師となり非識字者に対して文字を教えたという。その成果が、ラテンアメリカの国の中で 驚異の識字率を達成し、今や教育水準は世界有数であるという。事実の確認は難しいが、教育に力を傾注している キューバの姿勢には拍手を送りたい。

 日常の経済生活面では、手取り給料の額面は低いが(平均給料は12米ドル位)、多くの分野に於いて税金で賄われているので 実質給料は高いものになっているとMさんは強調した。食料は、基本的には配給制度によって最低生活は保証されており、 一生医療も無料だから病気や老後の心配はない。住居も国から支給されるもので、個人の持ち家はゼロ。但し、都市部では 1住居に住む人数を多くせざるを得ないので、家族構成上でも問題が山積しているそうだ。ともあれ、 全体的に貧しいのがキューバの現状である。しかし、贅沢な生活は出来ないが健康に生きていくだけの最低保証はあるから 安心して生活ができる国である、と。その証拠に、我が国にホームレスはゼロです、とMさん。 確かに、そんな人間は見かけなかったし、物乞いをされることも殆どなかった。

 ソ連という国が消滅して孤立してしまった感じのキューバであるが、今だにすぐ隣の大国アメリカを敵に回して 頑張っているキューバは、大したものだと思う。教育や経済、社会体制の思想は大事にしながらも柔軟な現実との 対応や適応を試みるキューバの姿は、僕の認識していた社会主義体制の国とは大きな違いがあった。例えば一つに、 チェ・ゲバラやホセ・マルティの顔や像は街に溢れていたが、今をリードしているカストロの顔や胸像は皆無であった。 偶像崇拝に傾いては、国の舵取りは出来ないと考えるカストロ首相の信念が貫かれているのであろう。 それだけでも、今迄にない新しい指導者像だと思う。

 其処此処に、人々の逞しさを見た思いがしたし、しぶとい底力みたいなものを感じることが出来たように思う。 この1世紀余り、激動の歴史と苦難に耐え凌いできた国民であることを思うと、素直に頷ける思いがする。 まだまだ,試練の続くキューバのようだが、穏やかで活気に満ちた人々と接して、この国の未来は、決して暗いものではないと思った。 改めて、凄い国だと思った。指導者であるカストロやゲバラの偉さも再認識した。地球家族と言う考え方があるが、 アメリカもいつまでも自国の利益だけにこだわっていないで、大国らしいリーダーシップを発揮して、 地球規模の平和的共存の輪を広げてほしいものだと思う。
◆19日〜20日
 明け方に降雪。
 9時、小雪舞うホテルを出発。空港は、除雪車が忙しく働いていた。
 スタンバイしていたAC-001便を見たら、整備員がエンジンルームの中に潜り込み、 吹き込んでいる雪のかき出し作業を始めた。初めて目にする光景であった 【写真右】【写真右下】

 離陸直前、30分かけて機体に積もった雪の除去作業を済ませ、ようやく滑走路へ。 11時50分、離陸。 帰路は、所要時間13時間45分。往路に比べて1時間半、余計にかかるらしい。

 機は、日付変更線を飛び越えて、 20日、日本時間15時30分、無事、成田国際空港に着陸した。

(終)
雪で白くなった空港

エンジン内の雪排除作業

ライン


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