★ 2001 『K2』へ〜 パキスタン(カラコルム)訪問の旅
 ◆ 9日目(9月8日) 【旅の全体地図】 目次へ
目次
前の日へ
前の日

次の日
【本日の旅程】=フンザ→チラス→パトラリン

◆ 強い薬の服用を決意
 なぜか、臍を曲げてしまったお腹は今朝になってもがんこに機嫌を直してくれない。穏やかな対処をしているといつまでも引きずってしまいそうなので、思いきって速効性の強い薬の服用に踏み切った。速効性が強いということは、その分副作用も強いのではないか。そんな心配があって、出来るだけ服用は避けたいと思っていたのである。食べたいものも食べずに我慢していては、体力減退、ひいては意欲減退、下手すると免疫力減退が別の不調を呼び込まないとも限らないからだ。それに折角、此所迄来ているのだから、出来る限り旅を楽しまない手はない。この機会を逃したら、2度と同じ体験は出来ないし再度訪れることだって出来ないかもしれないのだから。
 活力維持の為、そして胃の粘膜を保護する為にもお粥だけは頂いた。その後、劇薬を含むその薬を服用、しばらく様子をみることにした。それにしても、こんなに長時間お腹の調子が悪いのは、珍しいことである。


◆ フンザのビューポイント
6:06 ホテル発、今日は願ってもない快晴である。頂上付近だけ朝日を受けて白く輝くラカポシ(Rakaposhi : 7788m)が、深い青空を背景にして際立って美しい【写真1-2】。山麓の村は、まだしばらくは目覚めないことであろう。急いでスケッチに取り組む。山麓一帯にも朝日が射し始めた頃、名残りを惜しみながら、フンザを後にした。深く切れ込んだ山襞の奥には、白く輝くディラン(7273m)が美しい姿を見せていた【写真3】
↑ラカポシ(Rakaposhi : 7788m、上2枚)
ディラン遠望→

6:26 ビューポイント発。ウルタル、ラカポシ、ディラン・・・さようなら。
9:30-09:39
ヒマラヤ、カラコルム、ヒンズークシュの三大山脈の合流地点に立つ【写真下】。此所の谷でギルギッド川が合流、インダス川は水量を増やし乍らおよそ2800km、南から西へと流れ下ってアラビア海に注ぐ。気の遠くなるような長い旅である。

合流地点に立つ
合流地点での看板→
◆ ジャグロット 9:44
 油断をしていると、あっと言う間に通り過ぎてしまう狭い隙間のビューポイントである。その切り立つ谷筋の奥にある美しいラカポシの威厳に満ちた姿を仰ぎ見る足下には、コスモスがピンクや赤の花を可憐に咲かせていた【写真】。此所がラカポシを見る最後のビューポイントである。トイレを使う都合があって、スケッチする時間がなくなったのは残念である。
←ラカポシとコスモス


◆ ナンガのビューポイント 9:57-10:00
 Kハイウエイでナンガパルバット(Nanga Parbat : 8125m)が綺麗に展望出来る地点は、この付近だけである。天気が良く気温も上昇してきたせいであろうか、いささかガスってきたのは残念であったが、ともかく立ち止まって眺めてみたい景観である【写真下】。再度車を停めてもらい、しばらく撮影タイム。僕は1本だけ立っていた木の下で、急ぎスケッチに取り組んだ。先日訪ねたデオサイ高原は、あの山の裏側に位置する訳である。懐かしく思い出し乍らペンを走らせた。

車を停めて撮影タイム

ナンガパルバット(Nanga Parpat : 8125m)遠望


◆ 自慢のトラック
 名残りを惜しんでぐずぐずしていたら、Kハイウエイをお洒落なトラックがやってきた。これも見納めになるかもしれないな・・・と思いカメラを構えた。道に立ちはだかり、近づいてくるトラックを待ち受けた。ところが、近くまで来たトラックは、速度を落として道の真ん中に停まってしまった。ドアが開けられ、ドライバーが降りて来た。白い民族衣裳で白い髭を蓄えたなかなか貫禄のあるドライバーである。もう一つのドアからも黒い髭面の男が降りて来た【写真】。無断撮影に問題があったのだろうか?意外な成行きにいささかドギマギしてしまう。
 見れば、二人とも笑顔であった。自分のトラックを撮影されることがうれしくてならず、停車してしまったらしい。よほど自慢のトラックなのであろう。トラックの横でポーズを取り、しっかり撮影してくれ、という。運転席も見てもらいたいようだ。何という純朴な愛すべき男たちであろう。「美しいよ!」「素敵な車だ!」と、いかにも感嘆調に両の手を上げながら気持を伝えた。二人は、ご満悦である。こうなると、あらためて撮影しない訳にはいかない。デジカメで何度かシャッターを切った。片手を上げて「サンキュウ!」。もう一度「サンキュウ!」。二人は、嬉しそうに手を振って走り去った。


◆ チラスのシャングリラで昼食 11:50-12:45
 強い薬に変えてから、臍を曲げていたお腹の虫も観念したらしい。それなりのダメージを受けたことになると思うが、やむを得ない。ともあれ一安心である。しかし、用心の為、昼食は消化の良いうどんで済ませ、もう一度ダメ押しのつもりで強い薬を服用しておく。これで完璧だろうと思う。


◆ チラス・シャティアールの岩絵 13:55-14:10
 岩に絵が描かれるようになったのは、先史時代から10世紀頃までと言う。その絵の数は3万点にも及び、そのほとんどが此所チラスを中心にしたインダス川沿いに集中しているそうだ。絵のモチーフは、仏教に関するものが中心であり、動物、鳥、模様など多岐にわたっている。そうした絵を通して、当時の人々の生活や精神世界を推察することが出来るように思われた。
 ここらあたりは、厳しい街道の長い道程の中で、修行僧や旅人、遊牧の人たちにとって一息つける場所であったのであろう。願いを込めた文字や記号が彫り込まれてあり【写真10,12】、力強い釈迦座像があり【写真13】、中には腰を据え、高さ1.5メートルはあろうかと思われるスツーパなど【写真14】、時間をかけて刻み込んだ作品も多々あった。だから、単に事物の記録より、願いを込めて最も関心のある事柄を刻んだのに違いないと思えたからである。

文字や記号が彫られた岩絵

記号が彫られた岩絵

釈迦座像の岩絵

スツーパの岩絵

15:25-15:50 ハルシンのPTDCホテルで休憩。
16:10 ダッソー、バザールで賑わうメインストリートで小休止。


◆ ベシャムの街で岩塩を買う 18:16-21

岩塩を買う
 日本を出る前から、家内に買ってくるように頼まれていた岩塩である。買いそびれたら大変である。現地ガイドに何度もお願いをしておいた。今日は、最後のチャンスである。話を聞いた多くの人たちも希望したので、まとめて買うことになった。通りに面した店の一つに岩塩を並べた店を見つけた。岩のように大きな塩の塊が無雑作に地面に置かれていた。希望に応じてハンマーで叩き割り、量り売りをしてくれるのである。地面には叩き割る時に出来る細かな断片が沢山散乱していた。キラキラしていて、まるで宝石のように綺麗である。ピンクの欠片を拾って舐めてみた。それは、円やかな深みのある濃い塩味であった。
 白く透明なもの、オレンジ色がかったものもあったが、ピンク色をした岩塩を選び、10キロはあろうかと思われる塊をみんなで一つ買い求めた【写真15】。ちなみに、一般家庭では大きな塊のまま保存しておき、必要に応じて細かく砕いて使用するのだそうだが、砕けて小さくなった岩塩には商品としての価値はないのだそうだ。ガイドが持ち帰って砕き、全員に等分に分けてくれることになった。ガイドに値段を聞いたら、「信じられない位の安さだよ」と答えてくれたが、数字は明らかにしてくれなかった。多分、1キロ30円前後だったのであろうと思う。(翌朝、ビニール袋に小分けされた岩塩を、これは、旅行社からのサービスにすると云って手渡してくれた。希望していた量より大分少ない量になっておりガッカリしたが、やむをえない。)

18:26-57 PTDCホテルで休憩
20:15 バトラリン着


◆ 日本風呂(バトラリン・ビューホテル泊)
 何と、このホテルには、日本式の風呂があった。1度に10人位は入れる立派な風呂であった。ゆっくり手足を伸ばして湯に浸かり、洗い場でセッケンを使い、持参のシャンプーで洗髪した。日本の旅館に居るような、寛いだ気分になってしまう。1週間の旅の疲れも、気持ちよく癒される思いがした。パキスタンでこんな風呂に入れるなんて、真底驚いた。日本人観光客の為に造られたものだと思うが、他の外国人も喜ぶのだろうか?

ライン


ホームへ
HOME
目次へ
目次
前の日へ
前の日

次の日