★ 2001 『K2』へ〜 パキスタン(カラコルム)訪問の旅
 ◆ 2日目(9月1日) 【旅の全体地図】 目次へ
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【本日の旅程】=イスラマバード→チラス

◆ 初日のパニック
 夜中に3度目覚めた。エアコンによる適温が設定出来なかったせいである。浅い眠りにいささかイライラしているうちに、夜明けを迎えてしまった。薄目を開けて枕元に光るデジタル時計を見た。・・・赤い数字は6時30分を示していた。・・・ウッソォ!一瞬パニックに陥った。何と!すでに出発の時間になっているではないか!いっぺんに眠気がふっ飛んだ。血圧も急上昇したに違いない。ベットから飛び下り、ともかく大急ぎで身支度をする。昨夜の内に、出発の準備を済ませておいてよかった・・・それにしても、どうして起こしてくれなかったんだよ!こんな事もあろうかと、モーニングコールを頼んでおいたじゃないか!マッタク!・・・一人ぼやきながら、ふと自分の腕時計を見たら、短針は5時を指しているではないか・・・そうだよ、昨夜、確かに現地時間に合わせたはずである。身支度の手を止めて、その記憶をたどり確かめた。デジタル時計が間違っているんだ・・・と確信する。ここは、パキスタン。このくらいのことでおたおたしていては、やっていけない国じゃーなかったのかい・・・自分に言い聞かせながらゆっくり洗面を済ませて一息ついた。しばらくして、はたして電話のベルが鳴り出した。腕時計を見たら、きっかり約束の5時半であった。


ホテルを出発
◆ 5度目のハイウェイ
 6:40 簡単な朝食を済ませ、予定より10分遅れてホテルを出発した【写真左】。まだ人影もまばらで静かな街中を走り抜け、10分後にはカラコルムハイウェイに繋がる広幅の直線道路を快調に走り始めた。
 7:20 タキシラへの分岐点を通過した。予定通り事が運べば、帰路はここに立寄り遺跡を見学することになっている。今夜の宿泊地:チラスまでは、イスラマバードからおよそ500キロメートル。覚悟して炎天下の道を走ることになるのだが、中古車とはいえクーラー完備の車であるのがありがたい。多分、暑さに消耗することはないであろう。
 夏期のこの道を走るのは、今回で5回目である。毎回、暑さに苦しめられる長くハードな道程であるが、個人的に軽乗用車で走った時の暑かったこと、スリリングな体験であったこと、何時までも忘れられない思い出である。

◆ 懐かしい思い出
 それは、97年7月、イスラマバードからチラスまで往復した時のことである。チラスの岩絵を取材したいと言う友人夫妻と、その友人であるパキスタンの弁護士とドライバー、僕を入れて計5人がスズキの軽乗用車に乗ってイスラマバードから出発した。
 ただでさえ狭い車内に大人5人は窮屈であった。しかも、弁護士は人一倍の大男。前席は、ドライバーと奥さんの二人だからよしとしても、後部座席は男3人、まともに座ることなど出来なかった。その上、ク−ラ−無しの中古車であったことが悲劇的状況を作り出していたのである。途中、インダス川の岸辺に建つ招待所で1泊、翌日、弁護士の親戚を訪問したりしてチラス近くまで来た頃、気温は40度を超す猛暑になっていた。
 窓から、熱風が吹き込んできた。真昼の太陽に熱せられた天上からの熱波が、容赦なく狭い車内の温度を上げた。時間の余裕がなかったので、無理してチラスまで走ったのだが、ここでドライバーが倒れてしまった。熱射病である。岩絵の取材が終わるまで、木陰で休息していてもらったのだが、とても運転を続けることは出来ないと言う。しかし、回復するのを待っていることは出来なかった。明日午前の便でイスラマバードを発たねばならないと言う事情があったからである。
 ドライバーに代って運転出来るのは、僕一人であった。しかし、こんな事態は予想もしていないので、免許証は持参していなかった。それに、実際に免許証無しで運転することは、違法行為になってしまう。・・・「やむをえん!何とかなるでしょう!」弁護士が決断した。幸いにして、彼は国家公務員としての弁護士であり、今回使用しているスズキの自動車は政府の公用車であった。それは、ナンバープレートで明らかなのだそうだ。覚悟を決めてハンドルを握らざるを得なかった。

 チラスを出発したのは、午後4時近くであったろうか。断崖の続くカラコルムハイウェイ(以後、Kハイウェイと記す)は油断のならない道である。気が付くと、片方のバックミラーは壊れたままで役に立たなかった。いかにも車検制度のないパキスタンらしい車である。公用車といえども、整備不良車が堂々とまかり通るのである。イスラマバードまでの500キロ近い道程を必死で走った。途中、何度か夜中の検問に出会ったが、ナンバープレートが物を言った。それでも外人ドライバーであることに不審を抱く警官に訊問されたりしたが、弁護士が上手く対応して切り抜けた。真夜中には山賊が出没するという危険な区間は、武装したジープに護衛されながら無事通り抜けた。
 思い出は尽きない。長くなるので又の機会にゆずることにするが、今にして思えば、何ともスリリングなドライブであったと思う。岩絵が残されていた巨大なチラスの石は、手で触れられない程に熱かったこと、しかも熱射病にやられずに無事帰還出来たことなど、今は懐かしい思い出である。


◆ とうもろこしの岩塩焼き 9:30-9:45
 Kハイウェイに乗り、しばらくして、アボッタバードを過ぎた頃、街路樹の続く道端で「とうもろこしの岩塩焼き」【写真2】を商う店を見つけた。何人もの男が道端に店を出していた。「この地方の名物だから、食べてみませんか?」ガイドの提案に、全員大喜びである。採りたてのとうもろこしを、熱した砂の中で焼くだけのものであるが、砂の中に混ぜられている岩塩がとうもろこしとうまくからみ合って、なかなかに旨い味に仕上がるのである。直接、火で焼くのではないから日本のそれとは趣きを異にするが、タレに代わる塩味が素朴である。熱い内に食べないと硬くなってしまうので、のんびり食べている訳にはいかない。
 とうもろこしを食べながら、谷を見下ろしてみたら、川の流れの中に座り込み、大根を洗っている人の姿が小さく見えた。河原には何台ものトラックがとまり、流れの中には大勢の人が作業していて、川原には洗浄された白い大根が山のように積み上げられていた。いかにもパキスタンらしい景観である。望遠で引き寄せ、撮影した【写真3】

2. とうもろこしの岩塩焼き

3. ダイコン洗い


◆ マンセーラ 10:05-10:20
 街の中心になる通りの両サイドは、沢山の店が並んで賑わっていた。レストランの2階にあるトイレを借り、賑わう通りで少しだけ休憩した。バナナやブドウ、オレンジなど色鮮やかな果物を並べる店がよく目立つ【写真4】。戦後の日本でもよく見かけたかき氷屋も繁盛していた。売り手もお客も、賑わう通りに居るのは民族衣裳の男ばかりである。残念なことだが仕方がない。ピーナツ売りの少年や青年がニコニコしながら話しかけてきた。実に素朴で明るい。同行の仲間ともすぐに打ち解けあった【写真5】

4. バザールにて

5. ピーナツ売り


◆ バトラリンビュー・ホテルにて昼食 12:00-12:50

ノンアルコールの缶ビール
 ホテルは、インダス川を見下ろす断崖の上に建っていた。食堂に冷房はないが、天井に付けられた大きな扇風機の羽根が、くるんくるんと回転して風を送ってくれるだけでも救われる思いがする。しかし、そんな室内よりも自然の風が通り抜ける木陰のほうが、より快適である。庭にテーブルを並べてパキスタン風カレー料理をいただいた。
 食事につき物のビールやワインに慣れ親しんでいる辛党にとって、禁酒国のパキスタンは辛いものがある。現在でも、都会のホテルでのみ、許可を申請することでビールを飲むことが許されるのだが、最近は、以前に比べるとパスポート提示などの厳格な手続きをしなくとも飲めるようになったようだ。観光客誘致の政策上、あまり厳しくも出来なくなってきたのであろう。もう一つには、飲酒を容認する宗派との共存という国の事情もあるらしい。隣国のイランは完全な禁酒を行っているようだが、パキスタンは禁酒国と称しながらも、れっきとした国産のビールやワイン、ウィスキーだってあるのである。時代の流れ、というものであろうか。
 此所のホテルでビールをオーダーしたら、缶入りビールが運ばれてきた【写真左】。建て前と実際は違う・・・此所は何でもありの国なんだから・・・、と内心喜んだ。しかし、キリッとした冷たさは望むべくもなく、味もいまいち。しかも何と、このビール、ノンアルコールであった。帰国するまで2度と注文することはなかった。

14:04-14:22 ベシャムのPTDCホテルにてトイレ休憩。


◆ カラコルム・ハイウェイ
 Kハイウェイは、次第にハイウェイらしく、文字通り高い地点に作られた道らしくなり、バスはインダス川を見下ろしながら断崖の山腹を走っていた。標高は2000メートル位であろうか。川向こうの景色を眺めると、いかにも山岳地帯に入って来たことを感じさせる【写真7】
 このKハイウェイは、中国の援助を受け20年間かけて作られたものである。開通したのは1978年。イスラマバードから中国との国境であるフンジャラーブ峠(標高4700m)までの凡そ900kmの長い道程であり、標高差は凡そ4000m。パキスタンと中国を結ぶ大きな動脈となっており、何度訪れても、こんな荒涼とした険しい地形によくぞ道をつけたものだと感心してしまう。開通までに、およそ3000人の犠牲者を出した難工事であったことが、ターコット橋の近くに建てられてある記念塔に記されている。現在は、全線鋪装も施されて走りやすくなっているが、今でも常に補修を続けなくてはならない極めて危険な道である。今回も、バッターン近くで土砂崩れがあり【写真8】、しばらく停車せざるを得なかった。

7. 険しい山岳

8. 崩れたハイウェイ

16:58-17:26 バルシーンのPTDCホテルにてトイレ休憩



カラコルム・ハイウェイのトラックたち
◆ トラック Kハイウェイの主役はトラックである。トラックと共に何日も、あるいは何週間も過すことになるドライバーにとっては、マイホームのようなものであり、自分の好みに合わせたデザインで飾りたて大切に扱う。なんて美しいんだ、とジェスチャーで伝えると、みんな大喜びである。写真を撮らせてほしいと言って断わられたためしはない。美しく飾りたてた室内も写真に撮ってくれ、と案内されたことさえある。ドライバーにとって、一番の自慢なのである。材木を満載してスタンバイしていたトラックには、熱い日射しから車室を守る為、フロントガラスには覆いがしてあった。こうした日除けは日本でも普通に見かけるものだが、タイヤにもしっかり日除けがしてあった【写真左】。しかも風通しの良い自然の素材を使って。さすがである。


◆ チラスの岩絵
 チラスに到着した時は、すでに日没寸前であった。しかし、急げばまだ間に合うだろうと、今夜宿泊予定の宿の前を通り過ぎて岩絵の在るインダス川の河原へと直行した。其処には、大小の岩石が散在しており、その岩肌には5世紀頃に描かれたと推定されるスツーパや仏陀・動物などの絵が残されていることで有名である。先に記した「懐かしい思い出」の場所の一つである。バスの到着を待っていたかのように陽は沈み、瞬く間に暗くなってしまった。幾つかの岩絵を確認しただけで引き上げざるを得なかった。

20:00 チラス着  シャングリラ・ミッドウェイ・ハウス・ホテル/チラス新館 泊


◆ 滝のそばで寝る
 以前にも泊まったことのあるホテルなので、懐かしさもあり、勝手知ったる・・・という安心感もあって、ゆっくり寛ぐことが出来た。今回は、新館の部屋に案内されたが、そこには新しく工夫された冷房装置が設置されてあった。言うならば水冷式冷房装置である。屋内の厚い壁の中に冷水を滝のように流し、その冷水による冷気を直径80cm位の扇風機の羽根を回転させて室内に送るという仕掛けである。その涼風は、ベッドに向って送られるようになっていたが、それは丁度流れ落ちる滝のそばで寝るような感じであり、水しぶきこそ飛んでは来ないが適度な湿度もあって快適であった。

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