★ 2001 新春ネパールの旅
ネパール国旗  ◆ 最終日(1月19日) 【旅の全体地図】 目次へ
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【本日の旅程】=カトマンズ(市内観光)→(空路)→バンコク→(空路・機中泊)→成田着

 古都パタン<Patan>の観光を希望する人たちは、朝早くバスで出かけて行った。彼等がホテルに帰ってくる11時までは自由時間である。ホテルに留まっていてもつまらない。さて、と思っていたら、K氏夫妻がタクシーでボウダナートに行ってみると言う。家内も希望していた所だったので、割り勘で便乗させてもらうことにした。


◆ ボウダナート<Baudhanath>
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ボウダナート
 市街からは10キロ近く離れるが、直径27メートルの世界最大級のストゥーパ(仏塔)を擁したチベット仏教寺院である。ここのストゥーパにも巨大な目玉が描いてある。だから、通称目玉寺と言う【写真】。実は以前にも2度訪れているから、これで3度目になるのだが、何度見ても圧倒される思いがする。宝輪を頂点にしてたくさん張りめぐらされているのをタルチョと言い、万国旗のような5色の旗にはびっしり経文が書いてある。神が宿るとされる聖なる場所には、必ずはためいているチベット仏教のシンボルでもある。白いストゥーパの上を歩いて一周することが出来、展望もなかなか【写真】。記念に1枚写真を撮っておく【写真】。相変わらず大勢の参詣人で賑わっていた。今回訪ねて吃驚してしまったが、何と、寺院入口に関所が設けられ、拝観料を徴集するようになっていた。観光資源として営利目的に活用するのは時代の流れかもしれないが、庶民の信仰のシンボルでもある寺院が、次第に商業主義に毒されていくようでいささか淋しい思いをしてしまった。
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ボウダナートからの眺め
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白いストゥーバで記念写真→


◆ パニック
 パシュパティナート<Pashupatinath>も観光するK氏夫妻とはその入り口で別れ、僕らは別のタクシーに乗り換え再度旧王宮へ向った。今回の旅で親身なお世話をしてくれたMさんに、出来たら・・・と頼まれた買い物があったからだ。何としても果たしたいと思う。残された時間が少なくなり、思わぬ渋滞にあったりして気持があせった。車を降り、雑踏する通りを走るようにして目的の店に急いだ。品物を手にしてひと安心、約束の集合時間までまだ30分の余裕があった。しかし、昨日バスで走ったホテル・ダルバートまでの道に自信が持てない。店の主人に場所を尋ねたら、
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街を行く兵士たち
ゆっくり歩いて15分だろうと言う。通りに出て、指差し乍ら説明してくれた。「何とかなるだろうさ、30分もあるし」と思った。教えられた通りに歩いたら、ホテル近くの「聖なる池」に来た。昨日バスから眺めたばかりだから、もう2・3分の歩きだと自信を深めた。ヤレヤレである。広い交差点を、銃を持った大勢のネパール兵士が横切って行った【写真】。見なれぬ光景に一瞬驚いたが、すぐ近くの広場に集合して整列や行進の練習をするらしい。なるほど、みんな落ち着いた表情をしていた。彼等を見送り、交差点に架けられた陸橋を渡った。

 其処で、念の為店にいた男にホテルの場所を確かめた。ところが、「そんなホテルは聞いたことがない」と言う。通りがかった男にも尋ねた。「知らない」と言う。走って来たタクシーを停めて、運転手にも聞いた。彼も「分からない・・・」と言った。地図を示して、このあたりだと説明しても、残念ながらホテルのフロントでつけてもらったはずの印が見つからない。地図のホテルリストにも載っていなかった。絶対近くに来ているはずなのに、誰も知らないと言う。一体これはどう言うことだ!?信じられない事態に呆然としてしまう。時計を見たら、約束の時間までに10分を切っていた。家内は、パニック状態になってしまった。ともかく気持ちを立て直し、通りの角を曲がった所で再度店先で談笑中の2人の男に尋ねた。彼は、ニッコリして指をさし、「あのTVアンテナの立つ建物だよ」と教えてくれた。どっと疲れを感じた。決して意地悪されたのではないと思う。それにしても、こんな事ってありかよ・・・呟きながらホテルに急いだ。まだ5分を残して到着出来た。


◆ 悲運のカメラマン
 余談であるが、ダルバールスクエアの店で一人の若い日本女性に出会った。同じ方向へ行くから近くまで一緒に歩きましょう、と声をかけてくれた。不案内の街で、親切にしてもらえるとほんとに心強いし、嬉しいものである。道すがら、彼女の話を聞いて胸が痛んだ。彼女は、プロカメラマンを目指す学生で、初めてネパールに来たと言う。愛用のカメラ一式を専用のカメラバックに納めて満員のバスで移動の途中、そのバックごと盗まれてしまったと言うのである。その夜は自分の悲運に朝まで泣きあかした。すっかり落ち込んでしまったが、友人が自分のカメラを貸してくれ励ましてくれたので立ち直ることが出来た、と。彼女はその友人の一眼レフカメラを、ディバッグ共々しっかり胸に抱いて歩いていた。悲しい哉、悪い奴は何処にも居る。その悲運に負けることなく腕を磨いてほしいと思った。そして、祈った。せめてカメラを盗んだ奴には、どうか重い天罰が下りますように!と。


◆ 帰国の途につく
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改装中のカトマンズ国際空港
 ともあれ、約束の時間に間に合ってよかった。パタン観光に出かけた人たちも渋滞に巻き込まれ、予定の時間より遅れてホテルに帰ってきた。予定通りにはなかなか事が運ばないのが、ネパールらしいと言えそうである。慌ただしくホテルを後にした。
 空港でのチェックインはスムーズにいった。お世話になったガイドのラジブとは此所でお別れである。感謝の気持を込めて握手した。家内は軽く抱き合って別れを惜しんだ。小さな声で「サヨウナラ、×××・・・」ラジブも笑顔で応えた。「・・・×××オカアサン」。良い思い出を、ありがとう。
 搭乗待合室で、僕らよりも年上と思われる日本人夫婦に出会った。いつも二人で海外の旅を楽しんでいると言う。今回は憧れのネパールに来てみてほんとに良かった。ポカラに宿をとり、ポーターを雇って日帰りでダンプスにも登り、素晴らしいヒマラヤの展望を満喫出来たと、いかにも嬉しそうに語られた。僕らも、まだまだ頑張りたいものだと語りあった。
 待ち合い室のガラスの向こうに、改修工事が進む空港の建物が見えた【写真】。若し、再度訪れる機会があれば、建物もさること乍ら、周囲の環境もより安全で快適なものになっていて欲しいものだと思う。機はさほどの遅れもなく、離陸した。左側窓からヒマラヤに向って別れを告げた。
「さようなら!また、会おう!会いたいな、ぜひ!」

 バンコク国際空港で5時間の待ち合わせ、空調は効いているのだろうが30度の暑さにシャツ一枚になる。
翌1月20日早朝、成田上空に帰ってきた。機内放送が告げた。「・・・成田は曇り、気温は0度です。・・・もう一度ベルトをお確かめ下さい。」 午前7時、ジャンボ機TG-642便は、無事成田空港に着陸した。 (終り)

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