★ 2001 南イタリアとシチリアの旅
イタリア国旗  ◆ 2日目(3月29日) 一時 【旅の全体地図】 目次へ
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【ナポリ周辺地図】
【本日の旅程】=ナポリ(泊)、→カゼルタ王宮とポンペイ観光→ナポリ市内観光

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◆ 南イタリア風、初日の朝
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宿泊した『アメリカン・パーク・ホテル』
 明け方、ザンザン降りの雨音に目を醒まされた。時計をみたら、まだ4時じゃないか・・・すぐに2度目の眠りに沈んでいった。枕元でモーニングコールのベルが鳴った。驚いて飛び起きた。思いがけない程に深い眠りに落ちていたらしい。カーテンを開けてみたら、白み始めた空が見え雨は上がっていた。街路灯にはまだ灯がついており、街?はまだ眠りから醒めていない。何処からともなく、鶏の鳴き声が聞こえてきた。見渡してみると、周囲には低い山が居並んでおり、まだうす暗いその山麓には農家が散在しているのだろう。時を告げる鶏の声が彼方此方で呼応し始めた。このホテル【写真】は、山に囲まれた小さな盆地に建っていることが分かった。見れば、時計の針は6時を指していた。何だと?モーニングコールの約束は7時じゃーなかったのか?!メモを見て確認した。どうも一時間、時間を間違ったらしい。時間が浮いたので、モーニングシャワーでスキッとする。7時、思った通り、再度モーニングコールが鳴った。
 朝食の席で、添乗員がぼやいた。「モーニングコールは7時だからねって、3度も念を押したんですけどねぇ・・・。」フロントに抗議したら、昨夜の担当者からの引継ぎに時間の指定はなかったし、日本人はいつも6時だからね、と少しも悪びれずに答えたと言う。イタリアは、そんなお国柄なんだーーー。気にしないことにしよう。


◆ 観光に出発
 8時、先程まで晴天だと思っていたのに、雨が降り始めた。肌寒い風が吹く。
8時半、ポンペイ観光へ出発する時間になったが、その為の観光バスが姿を見せない。10分過ぎて、現地ガイドから電話連絡が来た。交通事故の渋滞に巻き込まれて遅れている、と。勿論「私ノ責任デハナーイ」と言う訳だ。イタリアはこんなお国柄なんだな。イライラしないようにしよう。
 9時、青空が広がった。明るくなったナポリの街は、ラッシュアワーであった。しかし此所を迂回して目的地に行くことは出来ないのだそうだ。信号の無い交差点も多く、右折左折の車は瞬時の隙を捉えて割り込んでくる。気の弱いドライバーではとても運転出来ないだろうと思う。駐車可らしい中心街の道も、凄まじい混雑ぶりであった【写真】。我が観光バスの運転手は、当地ナポリ出身だと言う。彼は特に緊張した様子もなく車の流れに乗って悠々と、しかも機敏に走行した。なかなかの腕前に感心する。僕らもゆったり構えて、窓外に流れる街の景観を楽しんだ。
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混雑するナポリの中心街


◆ ブルボン家の王宮と庭園(世界遺産)  【ナポリ周辺地図】
 最初の観光は、往時の繁栄を色濃く残しているブルボン家の王宮と庭園を訪ねることであった。それは、ナポリから北へ30キロのカゼルタ<Caserta>市に在った。その壮麗さは別名『イタリアのヴェルサイユ』と言われるだけあって、実際その豪華さと庭園のあまりの広さに驚くというより呆れてしまった。18世紀、最大級の建築であったそうだ。

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ブルボン家の王宮
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王宮の内部→

 王宮は20年余の年月をかけて建造された5階建で【写真上】、四つの中庭を囲み1200室を擁すると言う壮大なもの。それぞれの部屋は超一級の贅を尽くした造りになっており、その時代を代表する技術や美術のレベルの高さを評価することとは別の次元として、果てしない人間の欲望はかくも凄まじきものか、と思わせられた。
 庭園は、遥か彼方の山腹に造られた大滝から延々と直線的に池で繋がり約3000m。(しかもこの大滝の為の水を40キロ離れた山から導いているという。)大滝は殆ど霞んで見えなくなる程の遠方であり【写真下】、そこにも左右に広がる森の中にも数えきれない彫像が配置されていた。それらをのんびり眺めながら馬車に揺られ王侯貴族の気分に浸るのも一興かもしれないが、僕らには時間がない。大滝までバスに乗って往復した。

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広い庭園(最奥が大滝)
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園内観光の馬車とバス
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大滝の下の泉

 大滝【写真下】の下には泉が造られてあった。噴水がキラキラ輝き、流れ落ちる繊細で清らかな水流が奏でる優しい水音が心地よい。吹き抜けていくそよ風の中に白く美しい大理石の彫像が、その華麗で幻想的な姿を水面にも投影して、それは思わず見とれてしまう美しい景観であった【写真上】
 振り返って王宮を眺めてみたら直線上の彼方にどっしりと威厳に満ちた姿を見せていた【写真下】。絶大な富と権力を誇示する為に、ここまでやるかーーーとの思いにもさせられた。

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大滝
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大滝前より王宮を振り返る



◆ ポンペイ遺跡(世界遺産)  【ナポリ周辺地図】
 ヴェスヴィオ<Vesuvio>火山が突如大噴火したのが、西暦79年。山麓に栄えていたポンペイ<Pompei>の街は一夜にして6メートル余りの火山灰に埋もれ、いつしか人々の記憶からも消え去った。そして18世紀初頭、偶然のことから発見されることになり、1700年の眠りから覚めたポンペイの街は当時そのままの姿を現した、というのはよく知られていることである。永年、実際に自分の眼で見てみたいと思っていた遺跡である。
 遺跡見学の入場は3時半までで、閉門は5時だという。昼食に思わぬ時間を取られてしまい、時間を気にし乍らポンペイに急いだ。ところが、朝の渋滞が嘘のように道路は空いており、予想外に早く到着出来た。この時間帯(1時〜4時)は、イタリア全体が昼休みの時間なのだそうだ。納得。
 当時、ポンペイの街はローマ帝国随一の豊かな生活を送っていたといわれている。なる程、街は整然と区画され様々な商店や公共施設が整っており多くの住宅遺跡からはその豊かだったらしい生活の実体を理解することは容易であった。【写真】

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神殿
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裏通り
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馬車の轍の残る道

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↑商店 パン屋→

 馬車のわだちが残っている通り道【写真】、パン屋【写真】や贅を尽くした豪邸の壁画や装飾などなど、当時をリアルに想像する資料に事欠かない。当然ながらすぐ近くにヴェスヴィオ火山が在った。今は死んだふりをしているらしいこの山が突如大噴火したその時の人々の驚きと恐怖、パニックの状況は、到底想像出来るものではなかったことだろうと思う。たくさんの発掘品が収蔵されている倉庫に、無造作に死者の石膏像も置いてあった【写真】

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死者の石膏像

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 一瞬、その像に目が釘付けになってしまった。話によると、鎖につながれたまま死んだ犬の死骸も見つかっているそうだ。1700年もの時間が経過しているとは言うものの、あまりにも生々しい悲劇の町ポンペイの姿であった。

 公共広場に座りこみ、今は廃墟の街並みでしかないが、往時の繁栄を偲び乍ら、悠然と聳えているヴェスヴィオ火山を背景にして急ぎ遺跡のスケッチをさせてもらった。
←ポンペイ遺跡でのスケッチ


◆ ナポリ <Napoli>(世界遺産)
 ポンペイを閉め出され、再びナポリに帰ってきた時、陽はまだ西の空に在ったので急いで市内観光をすることになった。
 ヌオーヴォ城【写真】は、港に面して建っており、城の前の大通りを経てカゼルタとポンペイを訪ねたから、すでに車窓からは3度眺めている訳だ。今度はバスから降りて眺めたが時間が遅くて中に入って見ることは出来なかった。せめてものと、城の石壁を手の平で叩き挨拶をしてきた。13世紀に造られ、何度か改修されて16世紀初頭までナポリの重要な防衛拠点であったそうだ。
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ヌオーヴォ城

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賑わうナポリの繁華街
←ウンベルト1世のガッレリア

 ウンベルト1世のガッレリア(アーケード)【写真】。コレラが流行したスラム街を一掃し、その跡地に造られたもので、町の近代化を象徴する建造物だそうだ。内部で十字に交わる通路をガラスと鉄で造られた高さ58mの円蓋が覆っている。そこにはさまざまな店が並び、若い人たちで賑わっていた。泥棒やスリ、かっぱらいで有名なナポリである。此所には立派な制服の警官が連れ立って警邏していたが、だからと言って少しも安全ではなく、彼等は役に立たない飾りものにすぎないと添乗員が言った。スラレタ!盗まれた!と騒いでも少しも動ぜず、決して犯人を捕まえようとはしないのだ、と言う。本当だろうか。アーケードを出て、商店街を歩いてみた。露天商も並び、ここはもっと沢山の人たちで混雑していた【写真】

イタリア南部最大の都市ナポリは、近代化の波に乗り遅れ、衰退の一途を辿っていたのだそうだが、世界遺産に登録されたことにより再び生気を取り戻しつつあると言う。風光明媚なその風景は「ナポリを見てから死ね」とさえ賞されている。そしてその歴史や文化は余りにも魅力的である。そんなナポリをほんの少ししか垣間見る事が出来なかったのはいかにも残念だがやむを得ない。待たせておいたバスに乗り込むと、とっぷり日も暮れてしまった町ともお別れだった。

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